バードスクランブル
正岡

おたくな奥様快楽通信

初めて作ったマンガ同人誌

2007年04月27日
バードスクランブル 0
 コミケットでサークル活動を始める前に、学生時代にマンガ同人誌を作っていました。もちろん友達とです。
 それは、中学の美術部で。

 当然のことながら、公立中学にマンガ部なんてあるわけがなく、どこにも入りたい部活がない私は、仕方がないから絵画部(美術部)に入りました。
 でも、課題の油絵は3年間で3枚くらいしか描いていません。気に入った課題が出たら描く、みたいなかんじで、部活ではずーっと漫画描いていました。墨汁とかを臭わせながら(^_^;)
 今にして思えば、なんてとんでもなく俺様な女子中学生だったんでしょう。
 でも顧問の先生は何も言いませんでしたから、ある意味偉い先生だったのかも。でも若い先生だったから、生意気な女子中学生(私)が手に負えなかっただけかもしれない(^_^;)
 漫画同人は、当時は肉筆回覧誌です。B5の上質紙に描いた生原稿を、右綴じにしただけ、という体裁です。私一人でやってるところに、後輩の女の子が数人参加してきて、3冊くらいは作ったかな…
 ちなみに、こんな私でも副部長でした。
 土曜日の部活では下級生たちとジュース買いに行ったり(もちろん校則違反)、夏休みには下級生たちを連れて東映まんがまつりに行ったり。男気ある活動をしていました。(どこがじゃ(^_^;))

 高校時代は受験目的で部活に入っていなかったので、一人で地道に描いていました。でもほんとに受験戦士だったので、時間を節約してペン描きはできなかったです。
 大学に入ってから、ちょっと視野が開けました。
 美術短大に進んだ友人の紹介で、漫画仲間ができましたヽ(^。^)丿 アウト誌にイラストを投稿したり、アニメの上映会に行ったり、そんなことをしているうちに自然に友達が増えていった。
 今までは、漫画なんか描いているのは学校で私一人だけ… みどりちゃんて変わってるわね… だったのに、「私と同じような人がこんなにいっぱいいた!」
 ガッチャマンの上映会のとき、席が隣とか前だった4人が声かけあっていきなり仲良くなって、そのあと電話や郵便が往復して意気投合。この4人で始めたのが「バードスクランブル」です。

 同人誌をやろう、と言い出したのは友人の方でした。
 私は自前でオフセット印刷で本を作るなんて大それたこと考えてもいませんでした。当時はまだオフセット印刷の同人誌は珍しくて、私はそれが目的で大学の漫研に入るつもりだったくらいで。でも友人の試算では、200部作って売ればやれないこともないという。今思えば200冊も売る自信があったのはエライ(^_^;)
 漫画を描けるのは私だけだったので、事務や印刷発注など面倒な事務を全部やってくれるなら描く、と私は大いに豪語して(^_^;)、絵描きを引き受けたのです。
 こうして私たちはガッチャマンファンジン「バードスクランブル」を立ち上げました。
 当時はすでにコミケットはあったんですが、今のように全国から若者が結集する、という状況ではまだありませんでした。川崎市民プラザあたりでやってたころだったと思います。
 だから当時は、同人誌は会員制が多かった。つまり欲しい本は必ず買うために、会員になりたがる人も多かったわけです。私たちのバードスクランブルは200人以上の会員を擁し、たしか300部くらい刷っていたと思います。

 ちなみに、大学の漫研には結局入りませんでした。
 大学入って、春の部活勧誘のとき見に入ったんですが…… やっぱ下手だったから。自分が入って部を活性化するという考えも浮かばないわけではなかったですが、やっぱり創作意欲がわくのか?という問題が…… 美術短大で知り合った友人たちと作品を見せっこすると、よーし!私も描くぞ~ヽ(^。^)丿という気持ちにすごくなる。ああいうのがないと…
 結局、部活に入らなくても、コミケットのような場があったので、それで十分がんばれました。

気に入ったらシェア!

正岡
この記事を書いた人: 正岡
■生涯一腐女子。腐女子の本懐を極める。追っかけ中→小西克幸。市川猿之助。松田龍平。蒼井翔太
■リンク、コメント、トラバ、ご自由にどうぞ。相互リンク歓迎。拍手コメントは全非公開&レス無し。お返事して差し支えない内容はコメント欄へ
■ツイッターへのフォローやメッセージなどもご自由に。http://twitter.com/MasaokaYaoi

コメント0件

コメントはまだありません