欲しかったものが手に入った瞬間、その先のもっと遠くにあるものが見えてしまう
私も長いことアニメとかマンガとかゲームのファンやっているけど、ファンやってて一番つらいのは「待つ」ことだ。
当たり障りない実例でいうと、私がコニタンファンになったのは2008年ごろのことだった。芸に惚れれば惚れるほど、こんな役をやってもらいたい、こんな作品に出て欲しい、という願望欲望がつのっていく。
でも、それってファンががんばってどうかできるようなことじゃないよね。
そりゃ私が石油王の第4夫人とかなら札束でアニメ会社とかを張り倒して、自分好みのアニメとか作っちゃうわよ。でも現実の私にできることは、せいぜい感想文書くくらいで。
私はコニタンファンを10年やったことになるけど、好き原作に好き声優が当ったケースのコニタンは「ケンシロウ」。もちろん他にも大当たりなお役もあるんだけど、わかりやすい実例で。これが発表されたときは、この世の全てを支配したくらいに感激した。
それで、「北斗無双」で満足したかというと、ちがうんですよ。
もっと。さらに。こんな作品をあんな役を…という願望がふくらんでしまい、ものすごい飢餓感にさいなまれた。だけどさっきも言ったようにファンの側からどうかできるものじゃないから、ささやかに作品を買い集めつつ、ひっそりと待ってるしかないのだった。
コニタンファンで10年待って、かなったものもあれば、もうこの役は来ないなと割り切ったもののある。
でもナマモノのファンを長く続けるというのは、そういうことなのだ。私の人生じゃないの。それは小西克幸の役者人生なの。
私ね、今だからいうけど、その待ち続けることができなくてファンやめちゃったり忘れちゃったりした声優とか俳優とか、いくらでもいるのよ。
待つのに耐えられなくて、アニメや声優ファンやめたのに。それを忘れてまたコニタンファンになっちゃうとか、そしてまた同じことを繰り返すのか……
それで、恐ろしいことに、蒼井翔太でもそれはある。
こんな歌を歌ってもらいたい、こんなCDを出してもらいたい的な。ファンになってまだ2年ちょいで、それに気付いてしまった。蒼井翔太ならなんでもいいわけじゃない、こういうのが聴きたかったの、という曲に出会ってしまったら、この先もうどうしたらいいんだろう。
でもそれは、待つことでしか解決しないことなので、じっと待つ覚悟は一応ある。
当たり障りない実例でいうと、私がコニタンファンになったのは2008年ごろのことだった。芸に惚れれば惚れるほど、こんな役をやってもらいたい、こんな作品に出て欲しい、という願望欲望がつのっていく。
でも、それってファンががんばってどうかできるようなことじゃないよね。
そりゃ私が石油王の第4夫人とかなら札束でアニメ会社とかを張り倒して、自分好みのアニメとか作っちゃうわよ。でも現実の私にできることは、せいぜい感想文書くくらいで。
私はコニタンファンを10年やったことになるけど、好き原作に好き声優が当ったケースのコニタンは「ケンシロウ」。もちろん他にも大当たりなお役もあるんだけど、わかりやすい実例で。これが発表されたときは、この世の全てを支配したくらいに感激した。
それで、「北斗無双」で満足したかというと、ちがうんですよ。
もっと。さらに。こんな作品をあんな役を…という願望がふくらんでしまい、ものすごい飢餓感にさいなまれた。だけどさっきも言ったようにファンの側からどうかできるものじゃないから、ささやかに作品を買い集めつつ、ひっそりと待ってるしかないのだった。
コニタンファンで10年待って、かなったものもあれば、もうこの役は来ないなと割り切ったもののある。
でもナマモノのファンを長く続けるというのは、そういうことなのだ。私の人生じゃないの。それは小西克幸の役者人生なの。
私ね、今だからいうけど、その待ち続けることができなくてファンやめちゃったり忘れちゃったりした声優とか俳優とか、いくらでもいるのよ。
待つのに耐えられなくて、アニメや声優ファンやめたのに。それを忘れてまたコニタンファンになっちゃうとか、そしてまた同じことを繰り返すのか……
それで、恐ろしいことに、蒼井翔太でもそれはある。
こんな歌を歌ってもらいたい、こんなCDを出してもらいたい的な。ファンになってまだ2年ちょいで、それに気付いてしまった。蒼井翔太ならなんでもいいわけじゃない、こういうのが聴きたかったの、という曲に出会ってしまったら、この先もうどうしたらいいんだろう。
でもそれは、待つことでしか解決しないことなので、じっと待つ覚悟は一応ある。