総特集 木原敏江 エレガンスの女王
総特集 木原敏江 エレガンスの女王
河出書房 2017年11月発売 1944円
A5/192ページ

長いおたく人生において、つまずいたり転んだりのその時々、しっかり手に握っていたマンガ本がいくつかある。自分の中で何かが動く、そういう時に出会う作品もしくは作家の。
木原敏江は、私にとって間違いなくそのひとりだ。
だが、今も愛読者として継続中かというと、実は私が少女マンガから離脱したのはだいぶ昔で、それ以来追いかけていない。
本書「木原敏江 エレガンスの女王」巻末に全作品リストがある。私はどこまで読んだのか?なぜ少女マンガを読まなくなったのか? なぜ木原敏江から離れてしまったのか? 一晩考えた。
それで自分に回答。
それは私の人生の中で、美しいマンガを必要としなくなる時期がやってきたからではないのか?
河出書房 2017年11月発売 1944円
A5/192ページ

長いおたく人生において、つまずいたり転んだりのその時々、しっかり手に握っていたマンガ本がいくつかある。自分の中で何かが動く、そういう時に出会う作品もしくは作家の。
木原敏江は、私にとって間違いなくそのひとりだ。
だが、今も愛読者として継続中かというと、実は私が少女マンガから離脱したのはだいぶ昔で、それ以来追いかけていない。
本書「木原敏江 エレガンスの女王」巻末に全作品リストがある。私はどこまで読んだのか?なぜ少女マンガを読まなくなったのか? なぜ木原敏江から離れてしまったのか? 一晩考えた。
それで自分に回答。
それは私の人生の中で、美しいマンガを必要としなくなる時期がやってきたからではないのか?
以前、萩尾望都作品でも同じような疑問を抱いた。実際この歳になって読み返すと、昔とは作品の印象が違って感じられた。木原作品はどうだろうか?(まだ読み返してない)
あの時、あんなに身も心も耽溺したのは、描かれている主人公に何か共鳴するものがあったからだと思う。迷う自分、さまよう自分、わからない自分。そういう自分と向き合わせてくれるのか、その時期愛読したマンガ作品だったんだと思う。
あの時、木原敏江作品を買い集めたのも、同じような動機のはずだと思う。
私が少女マンガを離脱したのは198年代の半ば。「キャプテン翼」や「星矢」にハマっていった時期だ。少年ジャンプ系同人を始めるのと同時に、女性向け商業マンガ雑誌を読まなくなっていった。
なぜ少年ジャンプだったのか。
私は、好きな作品は自分の写し鏡だと思うのだ。
若い時は、美しさとか情熱とか、恋愛とか人間関係とか、自分の考えていることを自画像のように表現してくれる作品を求めていた。それが少女マンガだったのかも。
そして大人になって、ある程度それを達成してしまうと(社会人になったり結婚したりとか(^_^;))、美しい私は少女マンガのそこにいなくなる。そして私は少年ジャンプの中に自分を投影するようになっていた。……のではないか。自分の中で何が変わったのかはわからないが、私は「強敵と書いてトモと呼ぶ」世界の人になってしまったのだ。……という気がする。
初めての木原敏江体験
この本の巻末に、全作品リスト(おそらく雑誌掲載順)が載っている。自分のあやふやな記憶を整理して、リストで確認した。
初めて連載を読んだ作品、すなわち木原敏江ファンになった作品は、間違いなく「エメラルドの海賊」。フィリップに出会ったのはこの作品?
でも私は親にマンガ雑誌を買うことを禁じられていたので、自分が週刊マーガレットを買っていたはずがない。多分「ベルばら」連載の時期だったんじゃないかな。友人に熱心なベルばらファンがいて、布教目的で毎週マーガレットを読ませてくれたんだろうと思う。
「どうしたのデイジー」「お出合いあそばせ」もなんとなく記憶にあるが、これは後年コミックスを買ったからのような気がする。
実はマンガのお手本だった木原作品
将来は漫画家になりたい田舎娘だった私は、ひとり絵修行でいろいろな漫画家さんの絵をトレスして練習していた。もちろん木原絵も絵の先生だった。
一番参考になったのは、和装の描き方だった。(顔は真似しても似なかった(^_^;))
和服の形は体験的にわかってるけど、和服は平面カット&縫製したもので、それを人間が着て、帯を結んで、動くとどこにシワができるか? どんなポーズで袖は?裾は?どう動くのか? 髪形や帯のデザインは?着物の柄は?足元は? 男と女の着物の違いは?
「あーらわが殿」のときに気付いた。浮世絵や写真を模写してもだめだ。木原絵をトレスする方が確実!と(^_^;)
ストーリーマンガのお手本としては、古風で雅な言葉の表現とかが一番感じ入った。
旧ドイツ軍の話、あれを見たミリオタ男子が「制服とか小物とか合ってる」と言っていたので、なんちゃって軍服じゃいけないのを知った。
漫画家は古典の知識・教養はもちろん、資料調べもきちんとしないといけないのを知った。
実は人気がなかった?天まであがれ
先生のインタビュー記事の中で初めて知ったが(^_^;)、この作品は連載当時アンケート評が良くなかったらしい。ええ?マジですか?私はこの作品は大好きだったです。私はすべての木原作品を読んでないうえに、途中で離脱しているので語る資格はないかもしれないが、ひいき作品をひとつあげろといわれたら、これを押す。木原敏江絵で新撰組のお話が読める!的な意味でも、おすすめ作品である。
これは週刊マーガレットの連載だったから、新撰組作品とはいっても古風な少女マンガの体裁を保って、ティーンエイジャーの女の子の物語だ。リカちゃん人形のような丸顔と折れそうな細い手足は、これがこの当時の少女マンガヒロインの標準的な仕様だからだ。江戸時代の価値観は反映していない。
幕末ものというと、ただでさえ登場人物が多く、敵味方関係も複雑、しかも結末はみんな死ぬ(^_^;)と決っている。それを保守的なマーガレットでどう描くのか?
「天まであがれ」は、新撰組の狭い箱庭の中で恋愛するようなお話じゃないのである。歴史の流れと内外の政治情勢を説明しながら、架空の人物であるヒロインと、実在の新撰組と周辺人物が有機的に絡みあって、残酷な運命が容赦なく人々(ヒロインたちを含む)を押し流して行く物語なのだ。ただの少女マンガだとなめてかかると火傷します。
私は、この連載当時、すでに新撰組は好きなジャンルだった。新撰組は何年か周期でブームが巡ってくるそうだが、この連載当時もそうだったのかしら。もちろん連載を読みながら、歴史読本とかいろいろ本を買い集めて勉強した覚えもあります。
実は読み切りだった作品(^_^;)
本書には作品も収録されている。「封印雅歌」これは雑誌で読んだはずだが、今読み直して気付いたこと、意外に感じたこと。
この作品て読み切りだったんだ(@_@) たった41ページ?
自分の記憶の中では、前中後編(32×3)くらいの大型作品になっていたのは、それは物語のスケール感からくる錯覚と記憶の書き換えだった(^_^;)
こういう作品は他にもあって、リストのタイトルで内容が思い出せる作品で、あれ?これも読み切り?(^_^;)というのがけっこうある。3回連載の作品でも、自分の記憶の中では1年くらい読み続けていたようなつもりになっていたり。
人間の記憶はわりとあてにならない。
だけど、その時受けた衝撃と印象は、焼き付いたそのまま。その印象や感銘の強さが、そのまま作品の大きさとなっているのね。今私、とても大事なこと言ってる。
追記。このページ数で作品の大きさを出す秘密はなんだろう? 今突然思いついたけど、こういう作品を一度トレスしてしっかり勉強すればよかったな。
実は摩利と新吾が離脱ポイントだった
リストを見ていて、摩利と新吾あたりまでは記憶がはっきりしているが、連載は読んだはずだが、番外編は読んだのか?本は全部買そろえたのか?全然覚えていない。独身時代に買い集めたものは、みんな実家に置いてきてしまったので確かめようがないが、そのへんからタイトルすら知らない作品がリストに増えてくる。
しまりんごが大好きな人には申し訳ないが、この作品が木原敏江ワールドから離脱するきっかけになったような気がする。
前にも書いたように、好きな作品を読むということは、鏡で自分と向き合うことでもあった。私ってキレイ?私はこれでいい?て、自分に問いかけているようなものだ。それで摩利と新吾の連載を読んでいるうちに、これは違うのではないか?という疑問がわいた。その違和感は今でもはっきり思い出せる。
私、腐女子なんですよ。「あらわがとの」から摩利と新吾が独立して連載作品になるなんて、あったらいいながかなったような気がした。それなのに、途中であれ?おかしいな?これは私じゃない、的なものを感じたのは何故なのか?
それは摩利と新吾のせいというより、私が少し歳をとったということだったんじゃないかな。
就職、結婚、出産……と女のイベントが続くと、いつまでも美しくかわいい私ではなくなってしまうのかも。今それどころじゃねーよ!自分にかまってるゆとりなんかない!ような。その後、少年ジャンプに向かって行ったのは、絶対負けない主人公(^_^;)になるためだったのかもしれない。
もっとも「夢の碑」のシリーズを集めようとして結局頓挫したままなのは、経済的な理由というより、いつどこから何巻出てる的な情報が無かったこともあるかもしれない。今のようにインターネットで調べるような手段がなく、マンガ雑誌から離れてしまうことは、マンガそのものからも離れてしまうことになった。(木原先生が少年ジャンプ連載だったら離れることはなかったのだろうけど(^_^;))
実はふわふわな美麗イラスト
本書「エレガンスの女王」には新旧さまざまなフルカラーイラスト(表紙とか口絵とか二色カラーとか)が載っている。これを順番に見ているうちに、やっぱり奇妙な違和感に捕らわれた。
絵がやさしく、ふわふわと、美しい。
自分の記憶の中の絵よりも、もっと淡く、儚く、霞んで、やさしい。
ああ、あれは実はこんな絵だったんだ(@_@)
見覚えのある絵も多い。というのも、雑誌からカラーだけ、ピンナップだけ取り置いて、書類ケースのようなものに挟んで、勉強机に飾って日々眺めていた。もっと上手になったら私もこういう絵を描こう、と野望を抱いていた。
だが今、当時の見覚えのある絵を見ると、こんなに淡いタッチだったんだ、と感じる。
いつもお話の展開に圧倒されていたせいか、力強い、鮮明な印象を抱いていたけど、今の私が見るとものすごく繊細でやさしい絵に見える。
やっぱり私が歳をとったんだと思う(^_^;)
おそらく私は、この淡く霞む美しい世界に留まることができなくなって、離脱したというより、雲の上の世界から落っこちてしまって、「ペガサス流星拳!」必殺技の応酬する世界で生きて行くことになったのだ、と思う。
実は洋楽の入り口だったかもしれない
記憶が蘇ってくるにつれて突然思い出したけど、ひょっとして、ジギーもマークボランも、木原敏江作品で得た知識?
今となっては確認する方法もないが、紙面にジギーが出てくる最初はどこ? それはもしかして「エメラルドの海賊」より前?
1970年代前半ごろの田舎娘にとって、流行の服とか芸能人とか洋楽とか、そういったきらきら輝く異次元の情報は少女マンガから得るものだった。ヒロインの髪形や服、物語の題材など、田舎ではお目にかかれない新しいものがいっぱいだった。例えばエレキギターとかバイオリンとか、古典バレエとか、硬式テニスとか。長髪とかミニスカートとかパンタロンとか田舎じゃ誰もいねーよ。近所でなんか言われるからミニスカなんかはけねーよヽ(^。^;)ノ
ほんとに何もない田舎で、学校と家を往復するだけの小娘にとって、それだけマンガというものが大きな影響があったということなのね。
ひょっとかすると、私が日本史の歴オタに傾いて行ったのも、木原敏江作品の影響なんじゃないだろうか。
さっき和服のお手本でトレスしたという話をしたけど、和物を描く作家は他にもいたはずだけど、なぜ木原絵のトレスだったのか。
それは絵だけが理由ではないと思う。能や古典などから来てる題材が出てくると、もちろん真面目に参考になりそうな本集めて、読んだ、真面目な私。
さて、いろいろ思い出したところで、このあとは原画展だな。つづく。
あの時、あんなに身も心も耽溺したのは、描かれている主人公に何か共鳴するものがあったからだと思う。迷う自分、さまよう自分、わからない自分。そういう自分と向き合わせてくれるのか、その時期愛読したマンガ作品だったんだと思う。
あの時、木原敏江作品を買い集めたのも、同じような動機のはずだと思う。
私が少女マンガを離脱したのは198年代の半ば。「キャプテン翼」や「星矢」にハマっていった時期だ。少年ジャンプ系同人を始めるのと同時に、女性向け商業マンガ雑誌を読まなくなっていった。
なぜ少年ジャンプだったのか。
私は、好きな作品は自分の写し鏡だと思うのだ。
若い時は、美しさとか情熱とか、恋愛とか人間関係とか、自分の考えていることを自画像のように表現してくれる作品を求めていた。それが少女マンガだったのかも。
そして大人になって、ある程度それを達成してしまうと(社会人になったり結婚したりとか(^_^;))、美しい私は少女マンガのそこにいなくなる。そして私は少年ジャンプの中に自分を投影するようになっていた。……のではないか。自分の中で何が変わったのかはわからないが、私は「強敵と書いてトモと呼ぶ」世界の人になってしまったのだ。……という気がする。
初めての木原敏江体験
この本の巻末に、全作品リスト(おそらく雑誌掲載順)が載っている。自分のあやふやな記憶を整理して、リストで確認した。
初めて連載を読んだ作品、すなわち木原敏江ファンになった作品は、間違いなく「エメラルドの海賊」。フィリップに出会ったのはこの作品?
でも私は親にマンガ雑誌を買うことを禁じられていたので、自分が週刊マーガレットを買っていたはずがない。多分「ベルばら」連載の時期だったんじゃないかな。友人に熱心なベルばらファンがいて、布教目的で毎週マーガレットを読ませてくれたんだろうと思う。
「どうしたのデイジー」「お出合いあそばせ」もなんとなく記憶にあるが、これは後年コミックスを買ったからのような気がする。
実はマンガのお手本だった木原作品
将来は漫画家になりたい田舎娘だった私は、ひとり絵修行でいろいろな漫画家さんの絵をトレスして練習していた。もちろん木原絵も絵の先生だった。
一番参考になったのは、和装の描き方だった。(顔は真似しても似なかった(^_^;))
和服の形は体験的にわかってるけど、和服は平面カット&縫製したもので、それを人間が着て、帯を結んで、動くとどこにシワができるか? どんなポーズで袖は?裾は?どう動くのか? 髪形や帯のデザインは?着物の柄は?足元は? 男と女の着物の違いは?
「あーらわが殿」のときに気付いた。浮世絵や写真を模写してもだめだ。木原絵をトレスする方が確実!と(^_^;)
ストーリーマンガのお手本としては、古風で雅な言葉の表現とかが一番感じ入った。
旧ドイツ軍の話、あれを見たミリオタ男子が「制服とか小物とか合ってる」と言っていたので、なんちゃって軍服じゃいけないのを知った。
漫画家は古典の知識・教養はもちろん、資料調べもきちんとしないといけないのを知った。
実は人気がなかった?天まであがれ
先生のインタビュー記事の中で初めて知ったが(^_^;)、この作品は連載当時アンケート評が良くなかったらしい。ええ?マジですか?私はこの作品は大好きだったです。私はすべての木原作品を読んでないうえに、途中で離脱しているので語る資格はないかもしれないが、ひいき作品をひとつあげろといわれたら、これを押す。木原敏江絵で新撰組のお話が読める!的な意味でも、おすすめ作品である。
これは週刊マーガレットの連載だったから、新撰組作品とはいっても古風な少女マンガの体裁を保って、ティーンエイジャーの女の子の物語だ。リカちゃん人形のような丸顔と折れそうな細い手足は、これがこの当時の少女マンガヒロインの標準的な仕様だからだ。江戸時代の価値観は反映していない。
幕末ものというと、ただでさえ登場人物が多く、敵味方関係も複雑、しかも結末はみんな死ぬ(^_^;)と決っている。それを保守的なマーガレットでどう描くのか?
「天まであがれ」は、新撰組の狭い箱庭の中で恋愛するようなお話じゃないのである。歴史の流れと内外の政治情勢を説明しながら、架空の人物であるヒロインと、実在の新撰組と周辺人物が有機的に絡みあって、残酷な運命が容赦なく人々(ヒロインたちを含む)を押し流して行く物語なのだ。ただの少女マンガだとなめてかかると火傷します。
私は、この連載当時、すでに新撰組は好きなジャンルだった。新撰組は何年か周期でブームが巡ってくるそうだが、この連載当時もそうだったのかしら。もちろん連載を読みながら、歴史読本とかいろいろ本を買い集めて勉強した覚えもあります。
実は読み切りだった作品(^_^;)
本書には作品も収録されている。「封印雅歌」これは雑誌で読んだはずだが、今読み直して気付いたこと、意外に感じたこと。
この作品て読み切りだったんだ(@_@) たった41ページ?
自分の記憶の中では、前中後編(32×3)くらいの大型作品になっていたのは、それは物語のスケール感からくる錯覚と記憶の書き換えだった(^_^;)
こういう作品は他にもあって、リストのタイトルで内容が思い出せる作品で、あれ?これも読み切り?(^_^;)というのがけっこうある。3回連載の作品でも、自分の記憶の中では1年くらい読み続けていたようなつもりになっていたり。
人間の記憶はわりとあてにならない。
だけど、その時受けた衝撃と印象は、焼き付いたそのまま。その印象や感銘の強さが、そのまま作品の大きさとなっているのね。今私、とても大事なこと言ってる。
追記。このページ数で作品の大きさを出す秘密はなんだろう? 今突然思いついたけど、こういう作品を一度トレスしてしっかり勉強すればよかったな。
実は摩利と新吾が離脱ポイントだった
リストを見ていて、摩利と新吾あたりまでは記憶がはっきりしているが、連載は読んだはずだが、番外編は読んだのか?本は全部買そろえたのか?全然覚えていない。独身時代に買い集めたものは、みんな実家に置いてきてしまったので確かめようがないが、そのへんからタイトルすら知らない作品がリストに増えてくる。
しまりんごが大好きな人には申し訳ないが、この作品が木原敏江ワールドから離脱するきっかけになったような気がする。
前にも書いたように、好きな作品を読むということは、鏡で自分と向き合うことでもあった。私ってキレイ?私はこれでいい?て、自分に問いかけているようなものだ。それで摩利と新吾の連載を読んでいるうちに、これは違うのではないか?という疑問がわいた。その違和感は今でもはっきり思い出せる。
私、腐女子なんですよ。「あらわがとの」から摩利と新吾が独立して連載作品になるなんて、あったらいいながかなったような気がした。それなのに、途中であれ?おかしいな?これは私じゃない、的なものを感じたのは何故なのか?
それは摩利と新吾のせいというより、私が少し歳をとったということだったんじゃないかな。
就職、結婚、出産……と女のイベントが続くと、いつまでも美しくかわいい私ではなくなってしまうのかも。今それどころじゃねーよ!自分にかまってるゆとりなんかない!ような。その後、少年ジャンプに向かって行ったのは、絶対負けない主人公(^_^;)になるためだったのかもしれない。
もっとも「夢の碑」のシリーズを集めようとして結局頓挫したままなのは、経済的な理由というより、いつどこから何巻出てる的な情報が無かったこともあるかもしれない。今のようにインターネットで調べるような手段がなく、マンガ雑誌から離れてしまうことは、マンガそのものからも離れてしまうことになった。(木原先生が少年ジャンプ連載だったら離れることはなかったのだろうけど(^_^;))
実はふわふわな美麗イラスト
本書「エレガンスの女王」には新旧さまざまなフルカラーイラスト(表紙とか口絵とか二色カラーとか)が載っている。これを順番に見ているうちに、やっぱり奇妙な違和感に捕らわれた。
絵がやさしく、ふわふわと、美しい。
自分の記憶の中の絵よりも、もっと淡く、儚く、霞んで、やさしい。
ああ、あれは実はこんな絵だったんだ(@_@)
見覚えのある絵も多い。というのも、雑誌からカラーだけ、ピンナップだけ取り置いて、書類ケースのようなものに挟んで、勉強机に飾って日々眺めていた。もっと上手になったら私もこういう絵を描こう、と野望を抱いていた。
だが今、当時の見覚えのある絵を見ると、こんなに淡いタッチだったんだ、と感じる。
いつもお話の展開に圧倒されていたせいか、力強い、鮮明な印象を抱いていたけど、今の私が見るとものすごく繊細でやさしい絵に見える。
やっぱり私が歳をとったんだと思う(^_^;)
おそらく私は、この淡く霞む美しい世界に留まることができなくなって、離脱したというより、雲の上の世界から落っこちてしまって、「ペガサス流星拳!」必殺技の応酬する世界で生きて行くことになったのだ、と思う。
実は洋楽の入り口だったかもしれない
記憶が蘇ってくるにつれて突然思い出したけど、ひょっとして、ジギーもマークボランも、木原敏江作品で得た知識?
今となっては確認する方法もないが、紙面にジギーが出てくる最初はどこ? それはもしかして「エメラルドの海賊」より前?
1970年代前半ごろの田舎娘にとって、流行の服とか芸能人とか洋楽とか、そういったきらきら輝く異次元の情報は少女マンガから得るものだった。ヒロインの髪形や服、物語の題材など、田舎ではお目にかかれない新しいものがいっぱいだった。例えばエレキギターとかバイオリンとか、古典バレエとか、硬式テニスとか。長髪とかミニスカートとかパンタロンとか田舎じゃ誰もいねーよ。近所でなんか言われるからミニスカなんかはけねーよヽ(^。^;)ノ
ほんとに何もない田舎で、学校と家を往復するだけの小娘にとって、それだけマンガというものが大きな影響があったということなのね。
ひょっとかすると、私が日本史の歴オタに傾いて行ったのも、木原敏江作品の影響なんじゃないだろうか。
さっき和服のお手本でトレスしたという話をしたけど、和物を描く作家は他にもいたはずだけど、なぜ木原絵のトレスだったのか。
それは絵だけが理由ではないと思う。能や古典などから来てる題材が出てくると、もちろん真面目に参考になりそうな本集めて、読んだ、真面目な私。
さて、いろいろ思い出したところで、このあとは原画展だな。つづく。