持統天皇 血塗られた皇祖神
「持統天皇 血塗られた皇祖神」関裕二著
持統天皇編。
聖徳太子〜天智天武〜持統……と読んできたわけなんだけど、この著者の本を手に取ったそもそもの発端は「日本書紀は嘘をついている」という疑問からだった。
とすると、天智天武に謎があるなら、その利害関係者である蘇我氏や持統天皇についてはどうなのか? ひとつ嘘をつくと、それと整合性を保つために他にも嘘を並べなくてはならないのは道理。ではなぜ嘘をつかなくてはならなかったのか。
勝者が歴書をつづる動機は、多分ひとつしかないと思う。
「私は正しい」
(ねたばれもあり感想)
持統天皇編。
聖徳太子〜天智天武〜持統……と読んできたわけなんだけど、この著者の本を手に取ったそもそもの発端は「日本書紀は嘘をついている」という疑問からだった。
とすると、天智天武に謎があるなら、その利害関係者である蘇我氏や持統天皇についてはどうなのか? ひとつ嘘をつくと、それと整合性を保つために他にも嘘を並べなくてはならないのは道理。ではなぜ嘘をつかなくてはならなかったのか。
勝者が歴書をつづる動機は、多分ひとつしかないと思う。
「私は正しい」
(ねたばれもあり感想)
本作の内容についてまとめるのは、私は頭が良くないのでいろいろと理解しきれていない部分も多く、それはちょっとパスね(^_^;)
本書を読んで、私が一番に感じたことは、「古代の日本の統治機構ってどうなっていたんだ?」
漠然と、漠然とよ、なんとなくイメージしている古代の日本の大王。なんとかの宮というところで政務をして、役人とか武官とかいて、後宮とかあって女官とかいて……漠然とだけど、脳内絵図は平安時代の御所をちょっと中国風にしたような建物に、なんか「日出処の天子」に出てきたみたいな衣装の人がいて(^_^;)
でもそれほど優雅なもんでもなかったのかなあ、とこの本を読んで思った。
例えば、現代の日本で東京都知事を決めますとなったら選挙だ。立候補者同士、自分の主張を述べて、投票で決まる。そういう選抜のルールがあらかじめ決められていて、どんなに金持ちも偉い人もこのルールに逆らって都知事になることはできない。選ぶ人も選ばれる人もそれで納得している。
古代はどうやって決めていたのだろう。
話し合いですんなり決まればいいけど、実際はそんな簡単なことばかりじゃなかったはずだ。
持統天皇は自分の息子のために次々ライバルを潰していったようだけど、それは持統天皇ゆえの特性だったのだろうか。持統がそうだということは、他の人もそうだったということ。やられる前にやれ、みたいなそういう時代だったんじゃないか。もっと以前から。俺の方がふさわしいと思い、実際に力もあれば、大王を名乗って即位した。天皇が代替わりするたびに都が移動したのも、天皇にとって安心できる地域を宮を置いたからと思うのね。
室町時代に南北朝時代ていうのがあった。そういうことが古代にも当然あって、この作者は持統時代もそうだったんじゃないか、と考えている。「長屋親王」の件。
私は、なんで記紀は淡々と事件の記録だけにしなかったんだと思ったけど、いや、そんな混とんとしたあれやこれやを、そのままはやっぱり書けなかったのかな。これからはひとつの政府、ひとつの国家なのだから、過去はきれいな流れの神話にまとめて、「ぼくのかんがえた清く正しい日本の歴史」みたいなものなのかもしれない。
面白かったです。二巡目を読もうと思うけど、この作家の他の本も読みたくなりました。
本書を読んで、私が一番に感じたことは、「古代の日本の統治機構ってどうなっていたんだ?」
漠然と、漠然とよ、なんとなくイメージしている古代の日本の大王。なんとかの宮というところで政務をして、役人とか武官とかいて、後宮とかあって女官とかいて……漠然とだけど、脳内絵図は平安時代の御所をちょっと中国風にしたような建物に、なんか「日出処の天子」に出てきたみたいな衣装の人がいて(^_^;)
でもそれほど優雅なもんでもなかったのかなあ、とこの本を読んで思った。
例えば、現代の日本で東京都知事を決めますとなったら選挙だ。立候補者同士、自分の主張を述べて、投票で決まる。そういう選抜のルールがあらかじめ決められていて、どんなに金持ちも偉い人もこのルールに逆らって都知事になることはできない。選ぶ人も選ばれる人もそれで納得している。
古代はどうやって決めていたのだろう。
話し合いですんなり決まればいいけど、実際はそんな簡単なことばかりじゃなかったはずだ。
持統天皇は自分の息子のために次々ライバルを潰していったようだけど、それは持統天皇ゆえの特性だったのだろうか。持統がそうだということは、他の人もそうだったということ。やられる前にやれ、みたいなそういう時代だったんじゃないか。もっと以前から。俺の方がふさわしいと思い、実際に力もあれば、大王を名乗って即位した。天皇が代替わりするたびに都が移動したのも、天皇にとって安心できる地域を宮を置いたからと思うのね。
室町時代に南北朝時代ていうのがあった。そういうことが古代にも当然あって、この作者は持統時代もそうだったんじゃないか、と考えている。「長屋親王」の件。
私は、なんで記紀は淡々と事件の記録だけにしなかったんだと思ったけど、いや、そんな混とんとしたあれやこれやを、そのままはやっぱり書けなかったのかな。これからはひとつの政府、ひとつの国家なのだから、過去はきれいな流れの神話にまとめて、「ぼくのかんがえた清く正しい日本の歴史」みたいなものなのかもしれない。
面白かったです。二巡目を読もうと思うけど、この作家の他の本も読みたくなりました。