六月大歌舞伎「義経千本桜」
2016年06月21日

戦利品は舞台写真5枚。バツマルのかりんとう。
六月大歌舞伎「義経千本桜」
2016.6.19 歌舞伎座
一部/二部/三部
私、初めての歌舞伎座ですo(^-^)o リニューアルしてから初めて。
朝から晩まで通しで見たので、ちょっとレポ長いよ。
(1)歌舞伎座ってこんなとこ
(2)「義経千本桜」ってどんな歌舞伎
(3)私は染猿を見るのは初めてかも
歌舞伎座のお席
今日のお席は、一部&二部を三階席。三部を二階席。

↑三階A席。上手のブロックから見た舞台。意外に悪くないかも。
前の歌舞伎座は花道と舞台の奥がまったく見えなかったですから、それよりぜんぜんいい。これならぎりぎりすっぽんから上がってくるのは見えるはず。まあその分、昔よりも値上げってことなのね(^_^;)
以前の歌舞伎座の三階席も何度か行った事あるけど、二度と三階から見るもんか(^_^;)と思ったのは何となく記憶にある。劇場に行く頻度を下げて、花道の見える席を買った方がいいと思ったんだと思う。
私ははっきりいって、三階席はその演目を見たことがある人が座るところだと思うわ。花道の見せ場が見られないのは、ビギナーの歌舞伎見物には残念すぎる。
↓二階席上手寄りから。舞台がぐっと近くなって。
この写真だと右端が切れちゃっていますが、歌舞伎座の舞台は横にひろーい。こんなに必要?(^_^;)
先入観でいうけど、新橋演舞場よりも大きい?
初めて行ったので売店とその商品などはまだ把握できてないけど、それはこれからじっくり探索していくわ。それと新しい施設だけあって、トイレの充実ぶりはすばらしかった。
昔あったそば屋さんはもうないのね…
「義経千本桜」三本立て
さて、六月は「義経千本桜」から「碇知盛」「いがみの権太」「狐忠信」の三本立てだ。
これらは一年中どっかで上演されているような人気演目だが、まとめてイッキ見という企画はなかなかないと思う。碇知盛=染五郎。権太=幸四郎。狐忠信=猿之助。という配役だが、染五郎と猿之助は共に一部から三部まで出番があって、だから猿之助様ファンの私は結局朝から晩まで千部見ることにしたのだ(^_^;)
「碇知盛」
染五郎の知盛は初役とか。登場の初っぱなから超イケメンなので、船宿の主とはいいながらただものではあるまい(@o@)という風情。(つまりネタバレ?(^_^;))
私はこの演目を生で見るのは初めて。テレビで観たことがある程度で、内容はよく知らなかったんだけど、確かテレビで観た知盛はもっとマッチョなイメージだったと思う。染五郎はこの役にぴったりかというと、それはちょっと違うかもという気もする。しかし、田舎船主・実は平家の公達という裏設定だから、これはこれで正しいとも言える。
猿之助は船宿の主の女房・実は内侍の局。つまり安徳帝の乳母。十二単と長袴の裾をばさーっと。
お話は、義経一行が滞在していた船宿は、実は平知盛が身をやつして待ち受けていた罠だった。しかし義経はそれと知って返り討ち。義経が安徳帝の行く末を約束すると、重傷の知盛は未練なく碇と共に海に身を投げる。
私は、昔からこれは変な話だと思っていた。
まず安徳帝だが、皇族が死罪になることはないから、そもそもなぜ入水自殺などしたのか。というのは平家物語の謎なのだ。いくら自分の孫とはいっても、小さくても天皇である。それを道連れに身投げとか、そんな恐れ多いことを貴族がするだろうか。
多分「義経千本桜」の作者もそう考えたのだろう。「実は知盛も安徳帝も死んでなかった。その後、安徳帝は義経が身柄を預かって、知盛も安心して?死んだ」という話に書き変わっている。実際、安徳帝の最後には諸説ある。
私が変だと思うのは、知盛は能「船弁慶」でも怨霊になって出てくる人だから、実際知盛は祟ったのだろう。(と当時の人たちはそう思ったのだろう。)その怨霊になるほど無念の知盛を、「義経千本桜」劇中では義経が安徳帝を預かり、しかも小さい帝に「恨みに思うな知盛」とまで言わせて、怨霊になる前に?阻止しているのだ。
知盛の無念や恨みはここに晴れたのだろうか。
いや、私はそれ違うと思うんですよ。知盛の怨霊がこの芝居を観たら、「平家を滅ぼした張本人が、きたねー手で帝をだっこなんかしてんじゃねーよ」とやっぱり怒ると思います。そういう意味で変な話だなと。
それで実際に舞台を見て思ったのは、「義経千本桜」は人がいっぱい死ぬお話だ。大物浦の浜の場面で、女官が次々とキモノを翻しながら身投げしていくシーンでそう思った。
義経のこのあと運命は観客も知っている。残りの短い人生のその傍らで、義経と直接関係ある人、ない人などが、風に流されて散っていく風景、それが千本桜なのか。
「いがみの権太」
幸四郎の権太。当代松本幸四郎は御年73歳。見た目すっきりと、意外と若く見える。へえ〜これが幸四郎かあ。私は多分幸四郎は生の舞台初めて見るかもしれない。テレビでは歌舞伎以外もいっぱい見たことがあるけど。
このお話は、義経は出てこない。え?あれ?
平維盛とその細君&若君の逃避行に、すし屋のワリオ・権太が絡んでくるというもの。登場人物は維盛一行以外は、このあたりに住まうものでござる、な庶民のすし屋が舞台。
木の実〜すし屋は、私は実は三代目猿之助で見たことがある。そのときもお里は四代目猿之助(亀治郎)で、あれは今から15年くらい前になるのかな? 本来この恋に浮かれた小娘役は、沢瀉屋当主がみずからやるような役じゃあないのかもしれない。
というわけで、四代目猿之助が幸四郎に「びびびび」をやるのは、これが最初で最後かも(^_^;)
インタビュー記事などによると、四猿之助が幸四郎とお芝居をやるのは初めてなのだそうだ(@o@) え〜そうなんだ? 言われて見れば、高麗屋と沢瀉屋の相乗りって今までなかったかも。染之助とか四猿之助の代になったら、そういうのは今までとは変わってくるのかな。
ところで、この権太も変な話だと思う。
観客が一番感情移入しやすい庶民が主な登場人物だが、義経を助ける役じゃないのね。偽首を差し出して、すし屋の一家を不幸にしてまで守るのは、平家の落人。しかも権太無駄死に?? 碇知盛も権太も、平家の落人に気持ちが寄り添っていくようなお話なのね。
「狐忠信」
第三部は猿之助の狐忠信で、「吉野山」と「川連法眼館」をセットで。これ見たかったんですよ。襲名興行のときは、東京では川連法眼館しかやってなくて、私は吉野山は亀治郎時代に巡業で見たことがあるです。三代目猿之助の開発した派手な見せ場があるのが特徴の、いわゆる「沢瀉型」で、私は右近のも含めて何度か見てる。ついでにいうと、海老蔵のやった狐忠信も見た。
通常は川連法眼館だけとか吉野山だけとか、単独で上演されるので、そこだけ見ると華やかで楽しいけど、碇知盛〜すし屋〜狐忠信と続けてみると、なんだか違和感。今度は平家の落人ではなくて、狐のあやかしである。そしてこの三部はぱああああっと華やかに幕となるので、劇場を去る間際に見るには気分の良いものなのだ。知盛や権太で何人死んでいようと。
「道行初音旅」は踊りの演目で、静御前と忠信実は狐が道中を行くと、追手の悪者がからんできて笑いをとる。今回は静御前を染五郎、忠信を猿之助という組み合わせ。え?染五郎が女形を?でも日本舞踊だから。すっきりと以外に(ごめん)きれいな静御前だった。濃い紫のお衣装の忠信がかっこいいんです。
最後、忠信が狐の本性を現して花道を去るところ。沢瀉型では、チョウチョがひらひらとまとわりついてきて、それにひょいと手を出して捕まえようとして?狐に戻ってしまう。花道の手前で髷が変わり、衣装もぱらっとお稲荷さん模様に変わって、去っていく。
この場面が、他のお家の役者さんがやるときはどうなっていたか、見たことあるはずだけど覚えてない(^_^;) 多分チョウチョはなかったような気がするけど、気になるので映像探してみる。
「川連法眼館」は、私は襲名公演とこんぴら歌舞伎で見て、テレビで翌年やったやつも観てるけど、見るたびに微妙に印象が違う。襲名公演は2012年で今から5年も前だから、5年の歳月を重ね、上演機会も多かったし、四代目の忠信像もなじんだり変化したりしていくものなのかもしれない。
何回見てもこれはおもしろい。狐忠信が舞台のあっちやこっちから出たりひっこんだりするイリュージョン的な仕掛けがあるんだけど、大半のお客さんが見事に引っかかってどよめいていたので、猿之助型狐忠信を初めて見る人がまだまだこんなにいっぱいいるんだ(@o@)と、私もなんかちょっとわくわくしました。ちなみに海老蔵がやったときも、やっぱりみんなひっかかっていたので、成田屋のファンの人はこれを見たことがなかったんだ〜(@o@)(三代目は昭和の時代からやってるのに)と当時も同じように思った。
ちなみに、最後に宙乗りでひっここむのが沢瀉型。音羽屋と中村屋型はラストが違うんだけど、途中のでたりひっこんだりも違うはず。最近は、他のお家の役者さんでも宙乗りありで上演されることがしばしばあるらしい。
私はね、以前のように沢瀉屋一門の単独興行?みたいなのが復活したらいいのにとずっと思っていたけど、今はちょっと考えが揺らいだかも。歌舞伎俳優のシャッフルというか、いろんなお家と組んで、まだ見たことがない順列組合せ(役者の)が見られるのは、お客さんにとってもいいことなんじゃないか。いや、観客は案外保守的だから、海老玉と言うかもしれないけど、大衆に迎合するだけでは芸術は進化しないのだ。
「義経千本桜」三本立て感想
つかれた〜(>_<)
率直にいって、疲れた。朝10時半から歌舞伎座に居続けて、終わったのは夜9時すぎだったかな? 見たかった猿之助、高麗屋さんとの共演。でも疲れた〜。以前から昼夜通しで見ると疲れるのはわかっていたけど、私が年よりだから? でもね、ネオロマイベントの星奏学院祭なんか、延々行列に並ばされたり待たされたりしながら、昼夜公演しかも二日間続けてとかでも、ここまでしんどくなかった。
もしかして、義太夫とか常磐津とか清元が体質に合わないのかも。長唄は眠くならないけど、浄瑠璃は寝るわ。ところどころ一瞬意識が飛んで、はっと気がつくと舞台に首がのってたりとかしたもん(^_^;) 義太夫狂言三本立てがダメージになったのか。
うーん、義太夫の語るリズムや速度は、人間の動きよりもだいぶ遅いですよね。音楽がスローということじゃなくて、耳に入ってくる情報量が遅すぎて、脳が停滞して眠くなっちゃうのかも。
なので、間に踊りの演目が挟まっていると気が休まるような気がするのは、それは脳がヒアリングをしないで舞台を見てるからなのかもしれない(^_^;) ちなみに私は踊りのときは歌詞はぜんぜん聴いていません(^_^;) 踊りは歌の内容がわからなくても見られるし。
出演者のこと。買った舞台写真は猿之助4枚、中村亀鶴1枚。
亀鶴様には顔で惚れた。まるで江戸時代の錦絵のよう。声もセリフも良く通ってかっこいい。初めて名前を覚えたのは、南郷力丸だったかな、いや、赤い顔の役だったかも。亀治郎時代からたびたび舞台でお見かけして、ああなんか役者絵みたいな人がいる〜(〃▽〃) 舞台写真を買って、筋書きで名前を確認したのが始まり。
義経四天王で座っていた面々は、私はまだ名前を顔が一致しない。セリフもあまりないけど、古典歌舞伎だと若いときはだいたいこんな役。
そうそう、市川タケル初お目見え。五月人形のようなお顔で、セリフもちゃんと言えて立派。
三部制について。三部制を通しで見たのも疲れの原因かも。二部制のペースに気持ちとか慣れちゃってるから、ということもあるかもしれない。
七月、八月も歌舞伎座行きます。体力自信ないので心配。
七月大歌舞伎につづく。
今日のお席は、一部&二部を三階席。三部を二階席。

↑三階A席。上手のブロックから見た舞台。意外に悪くないかも。
前の歌舞伎座は花道と舞台の奥がまったく見えなかったですから、それよりぜんぜんいい。これならぎりぎりすっぽんから上がってくるのは見えるはず。まあその分、昔よりも値上げってことなのね(^_^;)
以前の歌舞伎座の三階席も何度か行った事あるけど、二度と三階から見るもんか(^_^;)と思ったのは何となく記憶にある。劇場に行く頻度を下げて、花道の見える席を買った方がいいと思ったんだと思う。
私ははっきりいって、三階席はその演目を見たことがある人が座るところだと思うわ。花道の見せ場が見られないのは、ビギナーの歌舞伎見物には残念すぎる。
↓二階席上手寄りから。舞台がぐっと近くなって。

この写真だと右端が切れちゃっていますが、歌舞伎座の舞台は横にひろーい。こんなに必要?(^_^;)
先入観でいうけど、新橋演舞場よりも大きい?
初めて行ったので売店とその商品などはまだ把握できてないけど、それはこれからじっくり探索していくわ。それと新しい施設だけあって、トイレの充実ぶりはすばらしかった。
昔あったそば屋さんはもうないのね…

さて、六月は「義経千本桜」から「碇知盛」「いがみの権太」「狐忠信」の三本立てだ。
これらは一年中どっかで上演されているような人気演目だが、まとめてイッキ見という企画はなかなかないと思う。碇知盛=染五郎。権太=幸四郎。狐忠信=猿之助。という配役だが、染五郎と猿之助は共に一部から三部まで出番があって、だから猿之助様ファンの私は結局朝から晩まで千部見ることにしたのだ(^_^;)
「碇知盛」
染五郎の知盛は初役とか。登場の初っぱなから超イケメンなので、船宿の主とはいいながらただものではあるまい(@o@)という風情。(つまりネタバレ?(^_^;))
私はこの演目を生で見るのは初めて。テレビで観たことがある程度で、内容はよく知らなかったんだけど、確かテレビで観た知盛はもっとマッチョなイメージだったと思う。染五郎はこの役にぴったりかというと、それはちょっと違うかもという気もする。しかし、田舎船主・実は平家の公達という裏設定だから、これはこれで正しいとも言える。
猿之助は船宿の主の女房・実は内侍の局。つまり安徳帝の乳母。十二単と長袴の裾をばさーっと。
お話は、義経一行が滞在していた船宿は、実は平知盛が身をやつして待ち受けていた罠だった。しかし義経はそれと知って返り討ち。義経が安徳帝の行く末を約束すると、重傷の知盛は未練なく碇と共に海に身を投げる。
私は、昔からこれは変な話だと思っていた。
まず安徳帝だが、皇族が死罪になることはないから、そもそもなぜ入水自殺などしたのか。というのは平家物語の謎なのだ。いくら自分の孫とはいっても、小さくても天皇である。それを道連れに身投げとか、そんな恐れ多いことを貴族がするだろうか。
多分「義経千本桜」の作者もそう考えたのだろう。「実は知盛も安徳帝も死んでなかった。その後、安徳帝は義経が身柄を預かって、知盛も安心して?死んだ」という話に書き変わっている。実際、安徳帝の最後には諸説ある。
私が変だと思うのは、知盛は能「船弁慶」でも怨霊になって出てくる人だから、実際知盛は祟ったのだろう。(と当時の人たちはそう思ったのだろう。)その怨霊になるほど無念の知盛を、「義経千本桜」劇中では義経が安徳帝を預かり、しかも小さい帝に「恨みに思うな知盛」とまで言わせて、怨霊になる前に?阻止しているのだ。
知盛の無念や恨みはここに晴れたのだろうか。
いや、私はそれ違うと思うんですよ。知盛の怨霊がこの芝居を観たら、「平家を滅ぼした張本人が、きたねー手で帝をだっこなんかしてんじゃねーよ」とやっぱり怒ると思います。そういう意味で変な話だなと。
それで実際に舞台を見て思ったのは、「義経千本桜」は人がいっぱい死ぬお話だ。大物浦の浜の場面で、女官が次々とキモノを翻しながら身投げしていくシーンでそう思った。
義経のこのあと運命は観客も知っている。残りの短い人生のその傍らで、義経と直接関係ある人、ない人などが、風に流されて散っていく風景、それが千本桜なのか。
「いがみの権太」
幸四郎の権太。当代松本幸四郎は御年73歳。見た目すっきりと、意外と若く見える。へえ〜これが幸四郎かあ。私は多分幸四郎は生の舞台初めて見るかもしれない。テレビでは歌舞伎以外もいっぱい見たことがあるけど。
このお話は、義経は出てこない。え?あれ?
平維盛とその細君&若君の逃避行に、すし屋のワリオ・権太が絡んでくるというもの。登場人物は維盛一行以外は、このあたりに住まうものでござる、な庶民のすし屋が舞台。
木の実〜すし屋は、私は実は三代目猿之助で見たことがある。そのときもお里は四代目猿之助(亀治郎)で、あれは今から15年くらい前になるのかな? 本来この恋に浮かれた小娘役は、沢瀉屋当主がみずからやるような役じゃあないのかもしれない。
というわけで、四代目猿之助が幸四郎に「びびびび」をやるのは、これが最初で最後かも(^_^;)
インタビュー記事などによると、四猿之助が幸四郎とお芝居をやるのは初めてなのだそうだ(@o@) え〜そうなんだ? 言われて見れば、高麗屋と沢瀉屋の相乗りって今までなかったかも。染之助とか四猿之助の代になったら、そういうのは今までとは変わってくるのかな。
ところで、この権太も変な話だと思う。
観客が一番感情移入しやすい庶民が主な登場人物だが、義経を助ける役じゃないのね。偽首を差し出して、すし屋の一家を不幸にしてまで守るのは、平家の落人。しかも権太無駄死に?? 碇知盛も権太も、平家の落人に気持ちが寄り添っていくようなお話なのね。
「狐忠信」
第三部は猿之助の狐忠信で、「吉野山」と「川連法眼館」をセットで。これ見たかったんですよ。襲名興行のときは、東京では川連法眼館しかやってなくて、私は吉野山は亀治郎時代に巡業で見たことがあるです。三代目猿之助の開発した派手な見せ場があるのが特徴の、いわゆる「沢瀉型」で、私は右近のも含めて何度か見てる。ついでにいうと、海老蔵のやった狐忠信も見た。
通常は川連法眼館だけとか吉野山だけとか、単独で上演されるので、そこだけ見ると華やかで楽しいけど、碇知盛〜すし屋〜狐忠信と続けてみると、なんだか違和感。今度は平家の落人ではなくて、狐のあやかしである。そしてこの三部はぱああああっと華やかに幕となるので、劇場を去る間際に見るには気分の良いものなのだ。知盛や権太で何人死んでいようと。
「道行初音旅」は踊りの演目で、静御前と忠信実は狐が道中を行くと、追手の悪者がからんできて笑いをとる。今回は静御前を染五郎、忠信を猿之助という組み合わせ。え?染五郎が女形を?でも日本舞踊だから。すっきりと以外に(ごめん)きれいな静御前だった。濃い紫のお衣装の忠信がかっこいいんです。
最後、忠信が狐の本性を現して花道を去るところ。沢瀉型では、チョウチョがひらひらとまとわりついてきて、それにひょいと手を出して捕まえようとして?狐に戻ってしまう。花道の手前で髷が変わり、衣装もぱらっとお稲荷さん模様に変わって、去っていく。
この場面が、他のお家の役者さんがやるときはどうなっていたか、見たことあるはずだけど覚えてない(^_^;) 多分チョウチョはなかったような気がするけど、気になるので映像探してみる。
「川連法眼館」は、私は襲名公演とこんぴら歌舞伎で見て、テレビで翌年やったやつも観てるけど、見るたびに微妙に印象が違う。襲名公演は2012年で今から5年も前だから、5年の歳月を重ね、上演機会も多かったし、四代目の忠信像もなじんだり変化したりしていくものなのかもしれない。
何回見てもこれはおもしろい。狐忠信が舞台のあっちやこっちから出たりひっこんだりするイリュージョン的な仕掛けがあるんだけど、大半のお客さんが見事に引っかかってどよめいていたので、猿之助型狐忠信を初めて見る人がまだまだこんなにいっぱいいるんだ(@o@)と、私もなんかちょっとわくわくしました。ちなみに海老蔵がやったときも、やっぱりみんなひっかかっていたので、成田屋のファンの人はこれを見たことがなかったんだ〜(@o@)(三代目は昭和の時代からやってるのに)と当時も同じように思った。
ちなみに、最後に宙乗りでひっここむのが沢瀉型。音羽屋と中村屋型はラストが違うんだけど、途中のでたりひっこんだりも違うはず。最近は、他のお家の役者さんでも宙乗りありで上演されることがしばしばあるらしい。
私はね、以前のように沢瀉屋一門の単独興行?みたいなのが復活したらいいのにとずっと思っていたけど、今はちょっと考えが揺らいだかも。歌舞伎俳優のシャッフルというか、いろんなお家と組んで、まだ見たことがない順列組合せ(役者の)が見られるのは、お客さんにとってもいいことなんじゃないか。いや、観客は案外保守的だから、海老玉と言うかもしれないけど、大衆に迎合するだけでは芸術は進化しないのだ。
「義経千本桜」三本立て感想
つかれた〜(>_<)
率直にいって、疲れた。朝10時半から歌舞伎座に居続けて、終わったのは夜9時すぎだったかな? 見たかった猿之助、高麗屋さんとの共演。でも疲れた〜。以前から昼夜通しで見ると疲れるのはわかっていたけど、私が年よりだから? でもね、ネオロマイベントの星奏学院祭なんか、延々行列に並ばされたり待たされたりしながら、昼夜公演しかも二日間続けてとかでも、ここまでしんどくなかった。
もしかして、義太夫とか常磐津とか清元が体質に合わないのかも。長唄は眠くならないけど、浄瑠璃は寝るわ。ところどころ一瞬意識が飛んで、はっと気がつくと舞台に首がのってたりとかしたもん(^_^;) 義太夫狂言三本立てがダメージになったのか。
うーん、義太夫の語るリズムや速度は、人間の動きよりもだいぶ遅いですよね。音楽がスローということじゃなくて、耳に入ってくる情報量が遅すぎて、脳が停滞して眠くなっちゃうのかも。
なので、間に踊りの演目が挟まっていると気が休まるような気がするのは、それは脳がヒアリングをしないで舞台を見てるからなのかもしれない(^_^;) ちなみに私は踊りのときは歌詞はぜんぜん聴いていません(^_^;) 踊りは歌の内容がわからなくても見られるし。
出演者のこと。買った舞台写真は猿之助4枚、中村亀鶴1枚。
亀鶴様には顔で惚れた。まるで江戸時代の錦絵のよう。声もセリフも良く通ってかっこいい。初めて名前を覚えたのは、南郷力丸だったかな、いや、赤い顔の役だったかも。亀治郎時代からたびたび舞台でお見かけして、ああなんか役者絵みたいな人がいる〜(〃▽〃) 舞台写真を買って、筋書きで名前を確認したのが始まり。
義経四天王で座っていた面々は、私はまだ名前を顔が一致しない。セリフもあまりないけど、古典歌舞伎だと若いときはだいたいこんな役。
そうそう、市川タケル初お目見え。五月人形のようなお顔で、セリフもちゃんと言えて立派。
三部制について。三部制を通しで見たのも疲れの原因かも。二部制のペースに気持ちとか慣れちゃってるから、ということもあるかもしれない。
七月、八月も歌舞伎座行きます。体力自信ないので心配。
七月大歌舞伎につづく。