仮面ライダーチェイサー
Vシネ「仮面ライダーチェイサー」2016年発売
毎年恒例?仮面ライダー放送後に制作、発売する、二番手三番手ライダーを主役にした、いうなれば続編。
一行感想。「仮面ライダードライブ」1年間の放送では語り尽くせなかったチェイスの物語。チェイスの背負った宿命ゆえの悲壮感だけでなく、テレビシリーズ進行中のころの日常感もあって、そこがよかった。
(ねたばれ感想)
・エンジェルは悪なのか?
・風都市は東京都と隣接しているんだ。
・地上波とVシネは何がちがうのか。
・次はハートの物語?
毎年恒例?仮面ライダー放送後に制作、発売する、二番手三番手ライダーを主役にした、いうなれば続編。
一行感想。「仮面ライダードライブ」1年間の放送では語り尽くせなかったチェイスの物語。チェイスの背負った宿命ゆえの悲壮感だけでなく、テレビシリーズ進行中のころの日常感もあって、そこがよかった。
(ねたばれ感想)
・エンジェルは悪なのか?
・風都市は東京都と隣接しているんだ。
・地上波とVシネは何がちがうのか。
・次はハートの物語?
三条陸脚本。テレビシリーズの途中に位置する設定で、チェイス視点の物語。テレビの3〜4話分くらいに相当。
物語。チェイスは、ロイミュードとの戦闘中に負傷した姉とその弟と知りあうことになるが、人間らしい細やかな会話ができないことで悩んでいた。人間のような感情を持てればいいのに。ちょうどこの頃、ロイミュードにはハートと対立する勢力が生まれていて、チェイスは望みがかなうのと引き換えに、対立勢力の傘下に引き入れられようとしていた。
エンジェルは悪なのか
人間のようになりたいと悩むチェイスに接近してくる、謎の女ロイミュード「エンジェル」。
彼女は、チェイスには敵対はせず、あなたの望みをかなえる、みんなを幸せにして救いたい、という。人間の感情とそれを表現できる装置?(羽根の形をしている)を与えられたチェイスは、その日からにこやかにしゃべりだし、内向きな性格の弟くん(姉被害者の弟)も打ち解けてくれるようになる。チェイスは満足だったが、その装置の影響で仮面ライダーには変身できなくなってしまう。
この女ロイミュードは、「つば広帽子。ロンゲ。黒いサングラス。トレンチコート」という古式ゆかしい悪女のいでたち。この姿を見るだけで「怪しい」と思わされるのは何故なのか(^_^;) でもこれが悪女を表す記号で、タイトスカートとかハイヒールとかロングブーツとかスカーフとか、大人服な女キャラは怪しいと決まっている。子供番組限定かな? アニメのタイガーマスクにもいたから、1960年代からある表現なのはまちがいない。
だから、女ロイミュードはうさんくさい。望みとか平和とか良いことずくめの理想を語られても、視聴者にはこれはあかん(^_^;)とわかる。そう予感させておいて、しかしチェイスはその甘言に従ってしまう。
このわかりやすい、なんのひねりもない悪女表現は、要するに物語というものは視聴者にある程度先読みさせることが、視聴者を引きつけ、面白い流れとなっていくのだ。もちろん結末は読まれてはいけないだろうけど。
フウトとトウキョウトは隣接している
TVシリーズでは実現できなかっただろう、仮面ライダーで刑事、アクセルとの共演。県境?にまたがるロイミュードの死体?をめぐって、警視庁とフウト市警がもめる。もちろん笑いをとる場面である。
チェイスの悩みの切実さにひきかえ、人間どもの能天気さは少々罪深いものがあるかも(^_^;)
ベルトさんとリケジョは日食でおおはしゃぎで取り合わないし。進之介や剛はお茶をふいたりしている。
誰もチェイスの悩みを理解できないし、同じ立ち位置にはいない。
そして事件が終わり、チェイスの迷いは消える。このなんていうか、「仲間がいるから孤独ではない、しかし誰にも頼らず自立する」という姿勢が、この作品の訴えるものだろう。チェイスは元々機械人間だからそれはあたりまえとして、物語中に知りあった引っ込み思案の弟くんも、突き放したようなチェイスの言葉に、最後は納得して終わる。
地上波とVシネは何がちがうのか
結局チェイスは一人で悩み、迷い、そしてきっぱりと結論を出す。感情と記憶の一部を捨てて、自力で仮面ライダーチェイサーに戻る。
「仮面ライダーアクセル」のときも思ったけど、地上波それも子供番組には映像表現的にいろいろと制約のある中で撮られているのが、Vシネを見るとよくわかる。一番端的なのが、肌の露出と流血だ。真っ赤な血だまりとか、だらだらと流血するシーンは、やっぱり緊迫感ある。(さすがにロイミュードといえども人体裁断のシーンはなかった。)
次はハートの物語?
次回作は「マッハ」と「ハート」だそうだ。
ハートはロイミュードのリーダーで、人類にとっては大いなる脅威だが、純然たる悪という描かれ方ではなかった。ロイミュード全体のことや、個々のロイミュードのことで心を砕いている。ロイミュードvs人間という立場を抜きにすれば、いわゆるいいヤツなのだ。
放送中、いったいどんな決着をつけるのだろうか?と疑問に思いながら見ていた。ハートは悪党というほどに卑劣なヤツではないのに、進之介はこれを殲滅してしまうのか。
そんなわけで、次のVシネドライブは、そんなハート様の救済策なのかもしれない。
物語。チェイスは、ロイミュードとの戦闘中に負傷した姉とその弟と知りあうことになるが、人間らしい細やかな会話ができないことで悩んでいた。人間のような感情を持てればいいのに。ちょうどこの頃、ロイミュードにはハートと対立する勢力が生まれていて、チェイスは望みがかなうのと引き換えに、対立勢力の傘下に引き入れられようとしていた。
エンジェルは悪なのか
人間のようになりたいと悩むチェイスに接近してくる、謎の女ロイミュード「エンジェル」。
彼女は、チェイスには敵対はせず、あなたの望みをかなえる、みんなを幸せにして救いたい、という。人間の感情とそれを表現できる装置?(羽根の形をしている)を与えられたチェイスは、その日からにこやかにしゃべりだし、内向きな性格の弟くん(姉被害者の弟)も打ち解けてくれるようになる。チェイスは満足だったが、その装置の影響で仮面ライダーには変身できなくなってしまう。
この女ロイミュードは、「つば広帽子。ロンゲ。黒いサングラス。トレンチコート」という古式ゆかしい悪女のいでたち。この姿を見るだけで「怪しい」と思わされるのは何故なのか(^_^;) でもこれが悪女を表す記号で、タイトスカートとかハイヒールとかロングブーツとかスカーフとか、大人服な女キャラは怪しいと決まっている。子供番組限定かな? アニメのタイガーマスクにもいたから、1960年代からある表現なのはまちがいない。
だから、女ロイミュードはうさんくさい。望みとか平和とか良いことずくめの理想を語られても、視聴者にはこれはあかん(^_^;)とわかる。そう予感させておいて、しかしチェイスはその甘言に従ってしまう。
このわかりやすい、なんのひねりもない悪女表現は、要するに物語というものは視聴者にある程度先読みさせることが、視聴者を引きつけ、面白い流れとなっていくのだ。もちろん結末は読まれてはいけないだろうけど。
フウトとトウキョウトは隣接している
TVシリーズでは実現できなかっただろう、仮面ライダーで刑事、アクセルとの共演。県境?にまたがるロイミュードの死体?をめぐって、警視庁とフウト市警がもめる。もちろん笑いをとる場面である。
チェイスの悩みの切実さにひきかえ、人間どもの能天気さは少々罪深いものがあるかも(^_^;)
ベルトさんとリケジョは日食でおおはしゃぎで取り合わないし。進之介や剛はお茶をふいたりしている。
誰もチェイスの悩みを理解できないし、同じ立ち位置にはいない。
そして事件が終わり、チェイスの迷いは消える。このなんていうか、「仲間がいるから孤独ではない、しかし誰にも頼らず自立する」という姿勢が、この作品の訴えるものだろう。チェイスは元々機械人間だからそれはあたりまえとして、物語中に知りあった引っ込み思案の弟くんも、突き放したようなチェイスの言葉に、最後は納得して終わる。
地上波とVシネは何がちがうのか
結局チェイスは一人で悩み、迷い、そしてきっぱりと結論を出す。感情と記憶の一部を捨てて、自力で仮面ライダーチェイサーに戻る。
「仮面ライダーアクセル」のときも思ったけど、地上波それも子供番組には映像表現的にいろいろと制約のある中で撮られているのが、Vシネを見るとよくわかる。一番端的なのが、肌の露出と流血だ。真っ赤な血だまりとか、だらだらと流血するシーンは、やっぱり緊迫感ある。(さすがにロイミュードといえども人体裁断のシーンはなかった。)
次はハートの物語?
次回作は「マッハ」と「ハート」だそうだ。
ハートはロイミュードのリーダーで、人類にとっては大いなる脅威だが、純然たる悪という描かれ方ではなかった。ロイミュード全体のことや、個々のロイミュードのことで心を砕いている。ロイミュードvs人間という立場を抜きにすれば、いわゆるいいヤツなのだ。
放送中、いったいどんな決着をつけるのだろうか?と疑問に思いながら見ていた。ハートは悪党というほどに卑劣なヤツではないのに、進之介はこれを殲滅してしまうのか。
そんなわけで、次のVシネドライブは、そんなハート様の救済策なのかもしれない。