日出処の天子(完全版)第7巻

日出処の天子 〈完全版〉/第7巻 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)日出処の天子 〈完全版〉/第7巻 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)
(2012/04/23)
山岸凉子

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 史実でのできごと。額田部女王が即位。厩戸は大兄となり、3人目の妃を迎える。
 額田部女王が即位(推古天皇)した時、厩戸は19歳。日本史の授業を思い出すに、どうしてそんな優秀で立派な?人が天皇にならなかった のかって思うよね、19歳ではまだ若かったということだったのだろうか。古代の天皇は豪族の連合政権のトップという感じで、戦争ともなれば自ら鎧を着 て出陣した。やはり19歳は若いかな。女帝をたてるというのは、基本的には次の大王までのつなぎという意味なのだが、有力豪族間の妥協の産物ではあったのかもしれない。

 お話。厩戸は大王にはつかず、額田部女王を即位させる。厩戸は大兄となり、政治の場へ。毛人と布都姫の間に男の子が生まれ、さまざまな思惑の中、蘇我氏,阿部氏、大王、厩戸、厩戸の妃たち、それぞれ己の道を歩み出す。

 最終巻。布都姫の件で、厩戸と毛人は決定的な別れとなり、その後のお話。ここから日本史の教科書にどう戻るのか。
 ここからは主に毛人視点になって、毛人の言葉で,厩戸とその家族,厩戸と自分との関係を読み解いていく流れとなる。また厩戸の妃たちのその後も、なんとなく暗示される。いわば「ずる天解答編」だ。作品中、さまざまに毛人を悩ませた厩戸の行動原理もはっきりする。みんな忘れているかもしれないが、厩戸は恋愛のためにこの戦いを始めたわけではない。政治的な野心?のようなものは最初からあった。厩戸は登場時10歳。


「日出処の天子」を全巻読み終えて
 正直,自分の記憶以上に長い作品だった。調べてみると4年間の連載だったようだ。
 連載当時、私は毎月LaLaを買い、正月にはずる天カレンダーを買い、……原画集も発売されたな。美しいカラー原稿から起こしたものを、書店経由で買った記憶がある。カレンダーもね、掛け軸のような仕様だったのよ。原画集は実物大?のB4くらいの大きなもので、製本されてなくて、紙のフォルダに入っていた。30年も前のことだから、あれはもうどこへやってしまったのかしら(^_^;) それはそれは大事にしていたはずなのに。
 マンガというのはお話だけじゃなくて、絵の魅力も重要。いやむしろ作品の印象は絵に左右されるものはある。お話は最後まで読まないと面白いのか面白くないのかわからないけど、絵はひとめ見るだけでわかる。読む前から、表紙の絵だけでも惚れられる。厩戸がそれだったな。
 完全版は紙面がA5と大きく、カラー扉や口絵も再現されていて、連載のおっかけ読者だったおばさんには夢のような本だ。今から読む人にも、当時の雰囲気が十分にわかると思う。ただし…
「当見開きのセリフは連載当時の扉ページを再現したものです。ストーリーの流れとは異なります。ご了承ください」
とか、読者をバカにしているのか?言われんでもわかるわい。ゴミフォントを絵の上にのせるな。ばかものめ凸(`_') どうしてもお断り書きを入れたいなら、奥付か人物相関図あたりにでも入れておけばいいだろ。ここだけは許せないが、他は印刷品位も含め、すばらしい仕様のご本である。
 さて、この作品を今ごろになって読み返したのは、最近の私の特殊能力「マンガを声付きで読む」ためでした。特に「好きなマンガの好きなキャラをコニタンの声で読む」もちろん脳内ボイスですが。ドラマCDが現実に発売されればそれがベストなんだけど、昔の作品ともなるとなかなかね。
 それで当初の目的だった、毛人はコニタンボイスで、というのは十分に堪能したのですが、意外なことに他のキャラにも声がついてました。一番難しい厩戸は、長年声がついてないキャラクターだったのですが、王子の片目がバーンと暗示をかけるシーンでルルーシュの声が聞こえてしまいました。他のキャラにもいろいろ声がついてて、脳内ドラマCDを楽しみました。声優ファン的にはいろいろキャストを考えるのも楽しいと思います。みなさんもぜひぜひお試しあれ。

 それでお話の全体的な感想。
 若いとき連載で読んだ読者としては、そのときの印象は何一つ変わってなかった。でも、その時には気がつかなかったことがけっこうあって、また昔はこう思ったけど今はちょっと違うことも考えてる、という箇所もけっこうあった。
 たとえば、大姫などはモブキャラだとずっと思っていた。でも今読むと、このお話に出てくる女の子の中では一番フツーな子だと思う。今まで気位の高い扱いづらい女とばかり思っていた。
 淡水は謎の人だな。何をしに日本にとどまっているのか。最初に出てきたとき、あなたは弥勒仙花か?とか毛人に聞いた。厩戸への信仰?のために動いているということなのか? それは何故なんだろう? 今回読み返して初めて淡水に疑問を感じた。
 雄麻呂や河上娘についても、初めて考えさせられたな。昔読んだときは、ほんとにどーでもいい存在だったけど(^_^;)
 最終ページ。大海原の背景に、厩戸が「日出処の天子より…云々」国書の話をしながら終わる。おそらくそれは連載開始時から作者先生の中では決まっていたと思う。でも他のお話の流れはどうなのだろうか? 4年も連載するとなると、途中でいろいろ考えながら、時には思いもよらない展開とかしたんじゃないだろうか。
 成就しない恋愛の話をえんえんと4年間も読み続けて、私が当時一番感じたことは、「現実から目を背けるな。努力しても報われないことなんかいくらでもある。どんな結末になっても途中で舞台は降りない」。実際「ずる天」の中の人物は、途中でリタイアしてない。どんなことをしても権力にしがみついて、、好きな相手にどこまでも執着する。
 作者先生が描きたかったことは別にして、最後男に裏切られて終わるお話を読む時って、読者もそれなりに心の準備がいる。結末でショックを受けても、読み返して何か自分を納得させて立ち直ろうとする。……今となってはあまり思い出せないが、最終ページを見て私が考えたことは、「このあとまだ20年以上ある」だった。聖徳太子は確か40代で亡くなった。このあと20年、一人で政治のこと、仏教のことなんかを考えなら働いて、それで死んだのだろうか。そう思って、かなり絶望した。マンガはここで終わるけど、厩戸皇子の人生はこのまま続くのである。
 今、このシーンを見ると、私はそこまでは絶望しない。なにしろあれから30年すぎてしまったのだ。厩戸皇子も、まあ人生なんとかなる、と思って20年生きたのではないだろうか。と、今は少し前向きに思えるのである。



印象に残った場面
毛人「あの日から私は強いてあのお方のことを考えまいと… 布都姫だけを見つめていようと努力し続けてきた。それでもなおかつ、あの時の王子の顔が目の前にちらつき、この胸をえぐるというのに」
 大嘗祭に王子が現れないので、やむなく斑鳩へ向かう毛人。厩戸にはできれば会いたくないが、政治向きの話となるとそうもいかず……その場面の馬上の毛人のモノローグ。毛人は布都姫を妻に迎えたが、気持ちは厩戸にもまだ残ってはいる。どっちか選べと迫られて?布都姫を選んだが、だからといって厩戸を嫌いになったわけではない。だから、毛人が厩戸を振り向く時もくるのではないか、という可能性を読者としては捨てきれなかった。
 でも今の私が読むと、毛人のこういうところがいけ好かない、と思う。若い時の私は毛人が何を言っているのかよくわかってなかったのだろう。当時は毛人は優しい人だと思っていた。
 考えないようにして。この善意の無視みたいな態度が、私は大嫌いだ。もちろん厩戸の勝手な思い入れに毛人が応える義務などない。厩戸と布都姫の二股?も、妹の不義も、別に毛人が望んでしたことではない。毛人は勝手に惚れられただけだ。じゃあ、何も考えないから何もしないから彼は悪くないのか、というと、私はそうは思わない。何もしないことは悪なのだ、と今はわかる。私も歳をとりました。もう少女マンガを読む歳ではござらぬ(^_^;)

淡水「あの女は駒とけっこうよろしくやっていたのだ」
 俗っぽい淡水(^_^;) 彼も女というものに価値を見いだしていない。厩戸を仏を崇める(作中はっきりとはわからないけどそんな動機?)彼の人生には、不要な生き物なのかもしれない。
 そんなわけで、今までまったく気にも留めなかったこの場面で、私は河上娘のことが初めて気になった。
 昔読んだ時は、河上の殺害のお話は、駒殺害のついでのお話程度のもので、かわいそうな脇役女性キャラの一生…という認識。淡水の心無い一言で、河上はそういう適当な女だとも思った。
 本当にそうなのか? ここのエピソードは全部淡水や馬子の発言からの伝聞推定でしかないから、河上の本当のところはわからないよね。彼女は喜んで大王の妃になったが、それで後宮での生活が幸せだったのかというとそれは違うようだったから、駒の方が大王よりもマシだったのかもしれない。それで世間に顔向けできんと思っているのは馬子であって、河上の母は生きて帰って来るだけで良かった思ってたと思うんだよね。
 
毛人「間人媛。それではあなたが元凶だ!」
毛人「私を愛しているといいながら、その実それは……あなた自身を愛しているのです」
 おまえがそれを言う?(@o@)
 毛人がそもそもの作品の語り部なので、連載当初から毛人の目線で厩戸を見て、時に視点を入れ替えたりして、物語をここまでつづってきた。お話を畳むのも毛人なので、何がいけなかったのか?何が問題だったのか?など、模範解答を毛人のセリフに盛り込んでいる。もっとも毛人自身も、それが全部ブーメランになって返ってくるのは自分でわかっているようだけど。
 厩戸の性格があれなのは親の責任だけど、でも毛人を好きになったのは別に母親のせいじゃないし。
 私はこのシーンで、はっきりいって毛人が嫌いになりました(^_^;) 若いときに読んだときは、毛人の言葉を選んでいるあたりに思いやりのようなものを感じて、毛人がそういうのならそうなのだろう…くらいに思ったりした。でも今は「おまえには言われたくない(`・ω・´)」と思うだけだ。
 ということはつまり厩戸は、毛人を嫌いになったとはまでは思わなくても、ここですっぱりと毛人のことは思い切ろうと決意したと思う。

毛人「どんな酷な事実であろうとも、この目を背けてはならない」
 厩戸の新しい妻が狂人だと聞いて、斑鳩宮をたずねるシーンに、毛人のこんなセリフをみつけた。布都姫な亡くなり、阿部氏との微妙な関係もあり、覚悟ある人になったのか。
 山岸作品の感想は、私は多分これだ。「現実から目を背けるな」。ただ何も考えずに流されるのと、現実を受け入れる覚悟は違う。覚悟がないと山岸作品はとても読めない。
 私はこのくだりで、孤児で狂人を妃にする、ということが衝撃的にはあまり思わなかった。それが母親似だということも含め。またなぜ、この子を妃にしようと思ったのかも、なんだか昔はわからなくて、厩戸の毛人や刀自古、大姫へのあてつけなのか?みたいにも思ったり。
 しかしドール趣味になった今はわかる。それはボロっこになったリカちゃん人形が捨てられているのを、拾って帰って、うちできれいにして、自作のドレスを着せてやる、という行為である。ボロっ子になって捨てられている人形は、もちろん自分自身の投影である。壊れてて、汚くて、誰も見向きもしない。そんな子を拾って、きれいに洗って磨いてかわいがるのである。人形だから、ものを言わない子、でいいのである。


「馬屋古女王」について
 第7巻収録のこの作品について。
 この作品は、「日出処の天子」の続編にあたるお話で、「馬屋古」だけ読んでも意味がわからないと思う。短い作品のわりに登場人物が多く、それの血縁関係を理解するだけでも難儀。ずる天を読んでいることが前提の作品といえるかも。
 私はもちろんこの作品も連載で読んでいるが、さすがに筋金入りの腐女子だけあって、感想らしい感想はない(^_^;) コミックスは持っていたかどうか記憶にない。
 男女カプ萌えね〜。厩戸と同じ顔なのに、女だといういだけで何故萌えないのか(^_^;) この作品の感想はこれに尽きる。
 今回あらためてじっくり読んで、連載で読んだままの記憶だったので、いくら好みじゃないからって、それでもちゃんと読んだんだな(^_^;)とちょっと自分を褒めてる。

 読みかえした今も、いろいろとわからない。
 馬屋古は、あの厩戸そっくり。体が女の厩戸。つまり、厩戸の魂は、自我のない女の入れ物に納まっている、と解釈すればいいのだろうか。
 では入鹿が見た、貴人の影は?
 やっぱり違うな。もし厩戸が入れ物を換えて復活したのなら、山背は毛人じゃないからこの結末はおかしい。画面にはでてこないが、毛人は五十代くらいで存命中のはずだ。そこへいかないのは、馬屋古は王子のコピー?であっても、やはり本人じゃないのでは。
 厩戸と毛人のコピー同士が引かれあうお話。今度は男女。そしてそれが一つになって、上宮一門は破滅にいたる運命に。という解釈でいいのかな。いずれにしても今更厩戸が何か取り返せるわけじゃないから。

(日出処の天子鑑賞終わり)

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