朗読劇CD 「天魔の銀翼 ~敵は本能寺にあり~」
2015年01月05日

2014年11月12日発売「天魔の銀翼 敵は本能寺にあり」ジャケ絵
D3P公式他、通販サイトで発売中である
遅くなりましたが、CD版の感想です。内容については、前にイベントの感想で書いているけど、乙女ゲーでもBLでもなく、いたってまっとうに戦国もののお話である。合戦あり、斬り合いあり、政治向きの話もあり。Hなし、BLなし、ドルチェタイムなし。宣伝用ビジュアルから連想するであろう女性向けジャンルの先入観とは裏腹に、硬派な作品である。出演者は全員アニメなどで名前をよく見る売れっこの男性声優で、しかも女性キャストはひとりもいない。イベント開催の時点で女性客を狙っていたのは明らか。にもかかわらず、である。
そういうわけで、殿方が聞いても特に居心地が悪くなるような内容ではないので、戦国無双とか気になる人も機会があればぜひ。
そして、これのもうひとつの特徴として、ライブ音源をCDドラマ化したものである。CD三枚になんなんとする朗読劇を、劇場の観客の前で、BGMや舞台照明などの演出の中で演じたものを収録している。
それでスタジオ収録と何が違うかって、私自身は役者じゃないから確かなことはわからないけど、少なくとも裏方や関係者しか居合わせないスタジオと、出演者目当てで熱い視線を寄越すおなごばかりでぎちぎちに席が埋まった劇場で、役者が同じ芝居になるとは思えないんだよね。バンドだって、スタジオ録音と客の入ったライブは違う。それもこのCDのききどころ、だと思います。
(ここから、ねたばれあり感想)
公演で一度聞いたきりで、こまごまとした部分を思い出せないまま、以前イベントの感想を書きました。今回はお話を振り返って。
昼の部のお話は、信長と光秀の遭遇から光秀の謀反の決意まで。同調したり、すれ違ったり、細かいエピソードの積み重ねの中で迷走する光秀の心理が浮かび上がる。周りの人物が、光秀何を考えている?まさか?と問いかける中で「敵は本能寺にあり」と言い放つ幕切れが印象的。
夜の部は、本能寺の変の前日あたりからの流れ。最後の山場は、信長と光秀の二人芝居。映像だったら、ここは斬り合いの場面なのですぐ終わってしまうところだが、朗読劇なのでえんえんと心理描写や自分語りのセリフが続く。後日談のあたりも、光秀の辞世の句(漢詩)がすごく印象的。
イベントのときは、私はどんなお話なのか、という物語をおっかけて聞いていたのだが、CDになってみると、明智光秀がどんな声で話しているのかばかりが気になった。
CDドラマの世界には、画像で補完するものがまったくない。そこで声優は、自分の担当する役の人物の外見から人となりから今考えていることまで、全部声で表現している。舞台の上では、朗読劇とはいっても実際には演者の表情やしぐさなどにそれは現れていて、観客はそれをたよりにお話についていったような気もする。CDではひたすら耳から入ってくる声だけが、その作品世界のすべてなのだ。
そういうわけで、感想は、コニタンの声がかっこいい。演技も好き(〃∀〃)
「LOVELESS」を初めて見たとき、少女マンガ絵の長髪美形キャラなんて嘘臭設定(非現実的な造形)にぴったりの声なんかあるわけないじゃない、とか思ったのに、実際に聞いたらど真ん中のストライクホームランコースで、しかも男らしくてかっこいい印象もあり、空想とリアルの絶妙なバランスにくらくらきてやられてしまった。この明智光秀役もそれだ。こんな戦国武将いるわけないじゃない(^_^;)的なキャラ絵と、史実の明智光秀が具体的にどんな男だったのかはわからないにしても絵空事じゃなくて現実に存在した感、それが両立しているのが、コニタン光秀の不思議さだ。
歴史物のお話であるから、現実に存在した感は大事だと思う。もちろんまず脚本ありきなのだが、人物が息づくような精緻な立体感は役者の仕事だと思う。
気になったこと。光秀視点のお話なので、光秀には頻繁にモノローグやら心の声がある。公演中にはなかったが、CDには光秀のモノローグのところはエコーみたいなエフェクトがかかっている。これは要らなかったのではないか。わかりやすいというよりは、耳障りで聞きづらいので。
それとか、ここはナレーションは要らんのではないかと思うことも。特に最後の光秀と信長の一騎打ちのあたりは。
それと、この朗読劇の企画って、最初から朗読劇だったのか、あるいは元はゲームとかドラマCDとか別の企画だったのだろうか。とか。
例えば、もしドラマCDだけだったら、もっと登場人物増やせたんですよね。その方がお話は書きやすかったはず。ステージに出せる頭数が決まっていて、そういう制約の中で書かれた脚本なんだよね。でもでも原作本なしで歴史物のドラマCDって売れるのかな? そう考えると、朗読劇というイベントの方が営業的に……するとこのイラストは立絵だけで用済みなのか。とかいろいろ考えてしまいました(^_^;)
だいぶ昔のことですが、コニタンファンになったのをきっかけにBLCDを買い集め始めたころ、ブックオフだったかで源平もののドラマCDを見つけて買ったことがありました。光栄の制作でした。光栄で源平もののゲームってありましたっけ? ジャケ絵がお耽美系で、それなりなりに期待して買ったのですが、いたってふつーの通説凡例見解的な源平ものでした。出演者に故人もいて、中古とはいえ貴重なもののような気がしたのですが、何か外した気がして(^_^;)手放してしまいました。
歴史物のドラマCDって、ただ出せば売れるものでもないと 思う。この「銀魔の天翼」が成功だったのかはわからないけど、原作本なしで、昼夜通しの長丁場イベント、CDにすると三枚組とか、なかなか野心的な試みだったのだな。
昼の部のお話は、信長と光秀の遭遇から光秀の謀反の決意まで。同調したり、すれ違ったり、細かいエピソードの積み重ねの中で迷走する光秀の心理が浮かび上がる。周りの人物が、光秀何を考えている?まさか?と問いかける中で「敵は本能寺にあり」と言い放つ幕切れが印象的。
夜の部は、本能寺の変の前日あたりからの流れ。最後の山場は、信長と光秀の二人芝居。映像だったら、ここは斬り合いの場面なのですぐ終わってしまうところだが、朗読劇なのでえんえんと心理描写や自分語りのセリフが続く。後日談のあたりも、光秀の辞世の句(漢詩)がすごく印象的。
イベントのときは、私はどんなお話なのか、という物語をおっかけて聞いていたのだが、CDになってみると、明智光秀がどんな声で話しているのかばかりが気になった。
CDドラマの世界には、画像で補完するものがまったくない。そこで声優は、自分の担当する役の人物の外見から人となりから今考えていることまで、全部声で表現している。舞台の上では、朗読劇とはいっても実際には演者の表情やしぐさなどにそれは現れていて、観客はそれをたよりにお話についていったような気もする。CDではひたすら耳から入ってくる声だけが、その作品世界のすべてなのだ。
そういうわけで、感想は、コニタンの声がかっこいい。演技も好き(〃∀〃)
「LOVELESS」を初めて見たとき、少女マンガ絵の長髪美形キャラなんて嘘臭設定(非現実的な造形)にぴったりの声なんかあるわけないじゃない、とか思ったのに、実際に聞いたらど真ん中のストライクホームランコースで、しかも男らしくてかっこいい印象もあり、空想とリアルの絶妙なバランスにくらくらきてやられてしまった。この明智光秀役もそれだ。こんな戦国武将いるわけないじゃない(^_^;)的なキャラ絵と、史実の明智光秀が具体的にどんな男だったのかはわからないにしても絵空事じゃなくて現実に存在した感、それが両立しているのが、コニタン光秀の不思議さだ。
歴史物のお話であるから、現実に存在した感は大事だと思う。もちろんまず脚本ありきなのだが、人物が息づくような精緻な立体感は役者の仕事だと思う。
気になったこと。光秀視点のお話なので、光秀には頻繁にモノローグやら心の声がある。公演中にはなかったが、CDには光秀のモノローグのところはエコーみたいなエフェクトがかかっている。これは要らなかったのではないか。わかりやすいというよりは、耳障りで聞きづらいので。
それとか、ここはナレーションは要らんのではないかと思うことも。特に最後の光秀と信長の一騎打ちのあたりは。
それと、この朗読劇の企画って、最初から朗読劇だったのか、あるいは元はゲームとかドラマCDとか別の企画だったのだろうか。とか。
例えば、もしドラマCDだけだったら、もっと登場人物増やせたんですよね。その方がお話は書きやすかったはず。ステージに出せる頭数が決まっていて、そういう制約の中で書かれた脚本なんだよね。でもでも原作本なしで歴史物のドラマCDって売れるのかな? そう考えると、朗読劇というイベントの方が営業的に……するとこのイラストは立絵だけで用済みなのか。とかいろいろ考えてしまいました(^_^;)
だいぶ昔のことですが、コニタンファンになったのをきっかけにBLCDを買い集め始めたころ、ブックオフだったかで源平もののドラマCDを見つけて買ったことがありました。光栄の制作でした。光栄で源平もののゲームってありましたっけ? ジャケ絵がお耽美系で、それなりなりに期待して買ったのですが、いたってふつーの通説凡例見解的な源平ものでした。出演者に故人もいて、中古とはいえ貴重なもののような気がしたのですが、何か外した気がして(^_^;)手放してしまいました。
歴史物のドラマCDって、ただ出せば売れるものでもないと 思う。この「銀魔の天翼」が成功だったのかはわからないけど、原作本なしで、昼夜通しの長丁場イベント、CDにすると三枚組とか、なかなか野心的な試みだったのだな。