「鳥辺山心中」「義経千本桜 川連法眼館の場」
2013年04月12日
第二十九回 四国こんぴら歌舞伎大芝居(第一部)
朝11時からの公演。一階平場の一番後ろですが、花道横です。
「鳥辺山心中」
「義経千本桜 川連法眼館の場」
朝11時からの公演。一階平場の一番後ろですが、花道横です。

「鳥辺山心中」
「義経千本桜 川連法眼館の場」
「鳥辺山心中」
今回のこんぴら歌舞伎の中で、この演目だけ大正時代の作品。1915年(大正4)初演。いわゆる新歌舞伎と言われるもので、「修禅寺物語」「半七捕物帳」の作者の作品です。愛之助と春猿で心中もの。
そうか、そんなに新しい作品だったんだ。なんか近松とかの心中ものと比べると雰囲気違うと思っていたんだ。
お話。江戸からやってきた将軍様御一行のお侍とお店に出たばかりの遊女。酒の上のケンカからなりゆきで決闘して同僚を殺害してしまった半九郎は、切腹か敵討ちで討たれるしかない。遊女染川は私も一緒に…と…
感想。これは私は前に一度海老蔵と菊之助で見たことがある。その時の印象はお座敷と道行きだけで、河原でのやりとりはなぜかまったく記憶から消えていた(^_^;) 今回見て、ああこういう話だったんだ、と納得した。河原のシーンで印象的なのは、誰も見てないから逃げればいいというお染に半九郎が「そんな卑怯なことはできない」と言いきるところ。
近松の心中ものは、恋愛とお金が死への引導になってしまうお話だ。好きな女は金で売られていて、男に金はなし、しかもライバル男や二人の間を割こうとする人物も出てくる。
「鳥辺山」は印象としては、少女マンガみたいなお話だ。男はお金には不自由していない。当面身請けに必要な200両は手元にはないが、半九郎がその気になればできない金ではない。半九郎は彼女と一緒になりたから身請けしたいのではなくて、あくまで親元に返してやりたいからと言っている。恋愛が動機でも、俺は金で束縛したくないと言っているのだ。おまえやることやっておいて言うことはちょっときれいすぎるのではないか(^_^;) 女は遊女といってもお店に出たその日についたお客が半九郎で、しかもずっと通い詰めなので、他のお座敷に出たことがない。変な例えだけど、水商売なのに処女、みたいな設定だ。(←男のロマン?)
そして半九郎が死ななければならないのは、武士の掟。いや、半九郎があれだけ酔っぱらっているのに、それでも斬り殺されてしまう同僚の腕前の方が士道不覚悟だと思うが(^_^;) 女のために決闘したわけではないので、そこから心中へ至る動機が前に見た時わからなかったのかも。
女はなぜ一緒に死んだ?死ぬ義理は全然ないじゃん。好きな人が死んじゃうから。女郎勤めがいやだから。この先どうすればいいかわからないから。そんな動機だろうか。半九郎が親元に帰してやりたいと思ったのも、まだ精神的に子供、ということなのかな。春猿はそういう雰囲気がよく出ていると思います。

「義経千本桜 川連法眼館の場」
猿之助襲名披露の演目。これは行く先々で必ず演じていて、猿之助襲名の看板のような作品。また狐?と思ったけど、おもだか型の忠信狐は歳をとったらできないくらいハードなので、見るなら今のうちですね。
「義経千本桜」は江戸時代中期の作品で、実は意外に古い。猿之助の演じるものは、先代の三代目猿之助が演出に手を加え、宙乗りで引っ込むのが見所。宙乗りも階段にいきなり現れるトリックも江戸時代からあった演出で、こんぴら歌舞伎でもそれが見られるのである。
お話。略。
現在の劇場と江戸時代の芝居小屋で何が一番違うかというと、舞台の左右の幅である。高さも低いとは思うけど、一番違うのは幅。現在でも劇場によって多少違うけれど、とにかく左右が狭い。それで一番影響を受けるのが、舞台のセットだ。
川連法眼館の御殿が狭い。真ん中に階段のある御殿があって、向って左に能舞台の橋みたいなのがあって、向って右には小窓のついたお座敷。歌舞伎座などで見ると横にでーんと広がった御殿なのだけど、こんぴらではとにかく左右が狭い。
それで、この舞台セットで一番のみどころは、「さては狐じゃな?」で狐になるのが超速なところ。普段の御殿セットよりも狭いので、床下に消える場所から出口までが近い。落ちた、と思ったらすぐ出てくる。2秒くらい。えっ!?て思うくらい速い。宇宙刑事ギャバンが今パットスーツを蒸着するタイムはわずか…ってくらい速い。新橋などの大劇場ではセットがデカイからあの秒数だった。実際には猿之助はもっと早く蒸着を完了していたのだ。
宙乗りは、花道の上を飛ぶのは他の劇場と全く同じ。ただしこんぴら歌舞伎は二階建てなのでそんなに高さはない。二階のお客さんの高さまで。一階のお客さんからいってもすぐ頭の上あたりを飛んでいく。手が届きそう。かなり低空飛行。そのかわり、飛んでいる時の猿之助狐の表情がよくわかる。ひっこむ箇所は花道の揚げ幕で、陣幕のようなものが出てきてその中に消える。花吹雪は揚げ幕の中から勢いよく吹き上がる。私は花道の揚げ幕横の席だったので、いっぱい花びらをかぶってしまいました。幸せ。
今回のこんぴら歌舞伎の中で、この演目だけ大正時代の作品。1915年(大正4)初演。いわゆる新歌舞伎と言われるもので、「修禅寺物語」「半七捕物帳」の作者の作品です。愛之助と春猿で心中もの。
そうか、そんなに新しい作品だったんだ。なんか近松とかの心中ものと比べると雰囲気違うと思っていたんだ。
お話。江戸からやってきた将軍様御一行のお侍とお店に出たばかりの遊女。酒の上のケンカからなりゆきで決闘して同僚を殺害してしまった半九郎は、切腹か敵討ちで討たれるしかない。遊女染川は私も一緒に…と…
感想。これは私は前に一度海老蔵と菊之助で見たことがある。その時の印象はお座敷と道行きだけで、河原でのやりとりはなぜかまったく記憶から消えていた(^_^;) 今回見て、ああこういう話だったんだ、と納得した。河原のシーンで印象的なのは、誰も見てないから逃げればいいというお染に半九郎が「そんな卑怯なことはできない」と言いきるところ。
近松の心中ものは、恋愛とお金が死への引導になってしまうお話だ。好きな女は金で売られていて、男に金はなし、しかもライバル男や二人の間を割こうとする人物も出てくる。
「鳥辺山」は印象としては、少女マンガみたいなお話だ。男はお金には不自由していない。当面身請けに必要な200両は手元にはないが、半九郎がその気になればできない金ではない。半九郎は彼女と一緒になりたから身請けしたいのではなくて、あくまで親元に返してやりたいからと言っている。恋愛が動機でも、俺は金で束縛したくないと言っているのだ。おまえやることやっておいて言うことはちょっときれいすぎるのではないか(^_^;) 女は遊女といってもお店に出たその日についたお客が半九郎で、しかもずっと通い詰めなので、他のお座敷に出たことがない。変な例えだけど、水商売なのに処女、みたいな設定だ。(←男のロマン?)
そして半九郎が死ななければならないのは、武士の掟。いや、半九郎があれだけ酔っぱらっているのに、それでも斬り殺されてしまう同僚の腕前の方が士道不覚悟だと思うが(^_^;) 女のために決闘したわけではないので、そこから心中へ至る動機が前に見た時わからなかったのかも。
女はなぜ一緒に死んだ?死ぬ義理は全然ないじゃん。好きな人が死んじゃうから。女郎勤めがいやだから。この先どうすればいいかわからないから。そんな動機だろうか。半九郎が親元に帰してやりたいと思ったのも、まだ精神的に子供、ということなのかな。春猿はそういう雰囲気がよく出ていると思います。

「義経千本桜 川連法眼館の場」
猿之助襲名披露の演目。これは行く先々で必ず演じていて、猿之助襲名の看板のような作品。また狐?と思ったけど、おもだか型の忠信狐は歳をとったらできないくらいハードなので、見るなら今のうちですね。
「義経千本桜」は江戸時代中期の作品で、実は意外に古い。猿之助の演じるものは、先代の三代目猿之助が演出に手を加え、宙乗りで引っ込むのが見所。宙乗りも階段にいきなり現れるトリックも江戸時代からあった演出で、こんぴら歌舞伎でもそれが見られるのである。
お話。略。
現在の劇場と江戸時代の芝居小屋で何が一番違うかというと、舞台の左右の幅である。高さも低いとは思うけど、一番違うのは幅。現在でも劇場によって多少違うけれど、とにかく左右が狭い。それで一番影響を受けるのが、舞台のセットだ。
川連法眼館の御殿が狭い。真ん中に階段のある御殿があって、向って左に能舞台の橋みたいなのがあって、向って右には小窓のついたお座敷。歌舞伎座などで見ると横にでーんと広がった御殿なのだけど、こんぴらではとにかく左右が狭い。
それで、この舞台セットで一番のみどころは、「さては狐じゃな?」で狐になるのが超速なところ。普段の御殿セットよりも狭いので、床下に消える場所から出口までが近い。落ちた、と思ったらすぐ出てくる。2秒くらい。えっ!?て思うくらい速い。宇宙刑事ギャバンが今パットスーツを蒸着するタイムはわずか…ってくらい速い。新橋などの大劇場ではセットがデカイからあの秒数だった。実際には猿之助はもっと早く蒸着を完了していたのだ。
宙乗りは、花道の上を飛ぶのは他の劇場と全く同じ。ただしこんぴら歌舞伎は二階建てなのでそんなに高さはない。二階のお客さんの高さまで。一階のお客さんからいってもすぐ頭の上あたりを飛んでいく。手が届きそう。かなり低空飛行。そのかわり、飛んでいる時の猿之助狐の表情がよくわかる。ひっこむ箇所は花道の揚げ幕で、陣幕のようなものが出てきてその中に消える。花吹雪は揚げ幕の中から勢いよく吹き上がる。私は花道の揚げ幕横の席だったので、いっぱい花びらをかぶってしまいました。幸せ。