こんぴら歌舞伎に行ってくるのだ日記 その6

 毎週「信長のシェフ」見て、顕如さまに萌えている。
 やはり私は猿之助様が好きなんだわ。やっぱり私はこんぴら歌舞伎に行く運命だったのよ。こんぴら歌舞伎に行くとお金だいぶ使ってしまうけど、私は後悔しない(^_^;)、と改めて思った。

崇徳院予習
 せっかく讃岐行くのだから、歴オタ的にどうしても一度見ておきたいお参りしておきたいところが崇徳陵。

 日本三大怨霊といわれるのが、平将門、菅原道真、崇徳上皇。
 怨霊とかそんな迷信じみたことは信じてないけど、と現代人は思うだろうけど、現代の私たちが怨霊信じているかどうかはどうでもいい。昔の日本人は信じていたのである。怨霊を恐れ敬っていた。彼らは実際に祟った。つまり、これは祟りだと当時の人々が思った事実があったのだ。そういう意味で、怨霊は実在する。
 怨霊が生まれ、祟るには、条件と法則があるらしい。井沢元彦先生などの本によると、「身分が高い」「無念の最期」の人が怨霊になる。そして祟った後「神社に祀られる」。もちろん歴史上、他の偉人も祟っただろうが、最も威力絶大で恐れられたのがこの三人なのだそうである。

 崇徳天皇の生涯は、ウィキペディアにけっこう詳しく書かれている。高校の教科書より詳しい。
 保元・平治の乱というと、ドラマや映画の映像的なイメージでは源氏と平氏の武力闘争のような印象があるが、つまるところは皇位継承権争い。皇族や貴族の勢力争いでもあるのだ。
 崇徳院自身がどんな人柄だったのかはよくわからないが、歌が百人一首にも採用されているところからすると、一流の歌人であったのだろう。しかし私は和歌はわからないので(^_^;)、歌を見てもどんな人柄だったのかなんて想像つかない。  
 崇徳天皇は政争に破れて、讃岐に流罪となった。そして8年後、その地で死んだ。誰と争ったのかというと、実の父親や弟とである。何の落ち度もないのに退位させられ、自分の息子を帝にできなかったことは、やはり無念だったに違いない。だから祟ったと当時の人々は思った。
 崇徳天皇については、実は父・鳥羽天皇ではなくて、その父の白河天皇の子だったという説があるが、本当のところはわからない。しかし、実の親兄弟ではないとした方が良いのかもしれない。
 崇徳院の陵墓について、普通はその天皇の治めた地域かそのゆかりの地に作るもので、歴代天皇陵はほとんどが畿内にある。配流先に葬られたのは崇徳天皇と淳仁天皇、それと安徳天皇陵も畿内ではない。あれ?後鳥羽上皇とか配流になった天皇って他にもいたはず。調べてみたら、後鳥羽上皇は隠岐で亡くなったけど陵墓は京都なんですね。崇徳院は捨て置かれたということだったのでしょうね。
 この時代の感覚としては、京の都以外は超ド田舎。京の御殿で女官や文官文官に囲まれて育った崇徳院には、讃岐での暮らしはどんなものだっただろうか。基本的に天皇は京から出ないから、たぶん海なんか、配流の時に初めて見たんじゃないでしょうか。

丸亀城
 こちらもぜひ見てみたいので、一応予習しておく。
 安土桃山時代の城で、立派な高い石垣と、木造の天守が現存する。
 城主は、何度も交代している。

金刀比羅宮
 ここにも崇徳院は祀られている。

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