なぜドールなのか

 最近絵を描いてないので、ブログトップの飾り絵がない。ドール写真も、メイクやドレスが全然作業進まないから新しい写真とかないけど、とりあえず今回はドール写真で。

なぜ私はドールが好きなのだろうか
 スーパードルフィーは経済的な問題があるので持てる数にも限度があるが、道端に捨ててあるならいくらでも拾って来たいと思っている。私はなぜドールが好きなのだろうか。

 児童心理学的には人形遊びというのは、自分の中の空想の世界と現実の中間に位置するものと考えられているそうだ。人形遊びをしながら外の世界のシミュレーションして、現実の世界へと出て行く橋渡しをする役割があるのだそうだ。だからある時期、子供の現実が人形の空想世界を追い越してゆき、子供は人形遊びが必要なくなって卒業する。
 今の私の人形趣味は大人になってからのものだ。私も心理学の例に漏れず、思春期の頃いつの間にか人形趣味というものを忘れて卒業した。いい歳をして今さら人形遊びの動機は、もちろん小さな子とは違う。
 私の人形趣味には、子供の時とは違う2つの傾向がある。
・顔を自分好みに変えたい。
・男の子ドールが好き。
 女の子の形をした人形を嫌いというわけではないが、今の私にとって女の子人形はもはや「リカちゃんは私であり、私はリカちゃんである」ではありえない気がする。そういう時代は何十年も前に終わったのだ。その後私は腐女子になり、再びドールと向き合った今思うに、恐らくこの男の子ドールが「もうひとりの私」なのだと思う。出来合いのドールフェイスではだめなのもそこに理由があるのではないか。
 つまり、ドールは私を投影する鏡であり、カスタムフェイスは自画像なのだ。
 なぜ男の子なのは自分でもあまりよくわからないが、恐らく男の子か女の子かでそこに投影される私という人格が違うのだと思う。私には「男の子人形に向い合った時出てくるもう一人の私」のようなものがある気がする。

モノに自分を投影する
 先日が友人と話していて、知り合いが7万円もするブランドものの財布を買ったらしいという話になって、「まじありえなーい。財布ごときに7万も!」「ブランドものなんて金の無駄遣いとしか思えんわ。わははは」などとケナしていて、私はふと気付いたのだ。
 はいはい。うちのSDが一体いくらかって?(^_^;)(言えない……コニタンのBLCDにいくら使ったかなんて…!)
 7万のブランド財布を買う人から私を見たら、きっと「人形ごときに5万10万とかまじありえなーい」と思うに違いない。これが価値観の相違というものなのだ。
 ということはつまり、私がドールに自分を投影するように、ブランドものの財布やドレスが好きな人はそこに自分を投影しているのかもしれない。
 私はコレクターではないので、ドールを持っていること自体は意味はない。自分で顔を書換え、名前を付け、自作の服を着せることで、そこに自分らしさみたいなものがあると思っている。この理屈はもしかしたらブランド物も同じなのかもしれない。私はまったく興味がないので全然わからないが、多分ブランド物ならなんでもいいわけじゃない的な動機があるのだろう。
 いずれにしても、モノに自分の価値を投影するという意味では、財布も人形も似たようなものなのだ。

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